孔子神話に「絶望した!」

早起きしすぎて午前中に『パティパダー』がらみの仕事を片付ける。夜になってからまた精舎で『パティパダー』入稿前の仕込をする。

孔子神話―宗教としての儒教の形成

孔子神話―宗教としての儒教の形成

浅野裕一孔子神話 宗教としての儒教の形成』読了。どーっと疲れた。新書の儒教ルサンチマンの宗教 (平凡社新書 (007))が同じテーマだからそっちにしておけばよかった。でも、元以費塾生としては、苦しくても読んでおいてよかった。儒教というものの正体について、350ページかけてさんざん蒙を啓かれた。雑にまとめると、孔子孟子などその後継者が目指していたのは「君主の指南役」なんかではなく、自ら天命を受けて「孔子王朝」を樹立することだった。秦の統一で「徳治主義」の前提たる封建制が崩壊して皇帝絶対主義が確立すると、儒者たちは孔子を天帝と皇帝を取り次ぐキリストのごとき地位に祭りあげようと画策する。儒教とは、人格の修養を説く自己啓発運動などではなく、卑賎の出ながら王となることを妄想した孔子ルサンチマンに源を発する、ウソとペテンで塗り固められた宗教運動だったのだ、と著者は喝破する。「儒教文化圏」なんてゆう生ぬるい夢想が木っ端微塵に吹き飛ぶ破壊力だ。「やっと手に入れた自慢の馬車で、黄ばんだ土の上を走り回った男の、ねじ曲がった魂の軌跡」として描かれる孔子の姿には、「知識人の(ネガティブな)原像」を突きつけられるようで、こっちまでしょんぼりしてきた。

儒教とは、一介の匹夫に過ぎぬ孔子が、実は孔子王朝を創始すべき無冠の王者であったと信じ、『春秋経』を始めとする孔子の教えに従うならば、中国世界に太平の世が到来すると信ずる宗教である。一人の男の誇大妄想と怨念が、そして歴史的現実を否定して世界に復讐を遂げんとする暗い情熱が、この世に欺瞞と虚構に満ちた宗教、儒教を生み出した。(p319 終章)

ふはぁ……孔子神話はまさにドロドロの『孔子暗黒伝』な『暗黒神話』(諸星大二郎)だったわけね。おいおい、そこまで言うのかよ!と反発心が起きた人は、ぜひ読んでみるといい。そして叫ぶがいい「絶望した!」と(amazon.co.jp儒教ルサンチマンの宗教 (平凡社新書 (007))レビューで同書に描かれた孔子が『さよなら絶望先生』を連想させる、とゆーものがあって可笑しかった)。福田総理も、これを訪中前に読んでいたら、曲にお参りする気になっただろうか……。まぁ、読まないだろうけど。

孔子暗黒伝 (ジャンプスーパーコミックス)

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さよなら絶望先生(10) (少年マガジンコミックス)

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ところで、昨日は頑張って読んだ加藤隆の『福音書』解説も……二冊目でゲップが出てきた。「どうせウソ」の話をさも意味ありげに読もうとする概念操作につきあってると、だんだん気持ち悪くなってくる。神学キモーーーーーーッ!分け入れば分け入るほど、こころが明るくなるのは、結局、ブッダの世界だけなんだよな。ブッダン、サラナン、ガッチャーミ、っと♪ 明日は『パティパダー』入稿日だ。

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