ヤコブの手紙と創世記/浅野裕一『諸子百家』

音声ファイルの整理など細かい仕事を片付ける。

午後、エホバの証人の女性が来て『聖書』の講義をしていったのだが、いま読んでいる『旧約聖書の誕生』加藤隆によれば、

「ヤーヴェ」という神の名について、確認しておきたい。日本語の本では近年に出版された本でも、いまだに「エホバ」という名称が用いられていることが少なくない。この「エホバ」という呼び方は、誤りである。……
「ヤーヴェ」という名は、ヘブライ語では、四つの文字で記されている。ヘブライ語の文字はすべて子音であって、聖書はその文字で記されている。しかし発音の指示のために、それらの文字の上や下に、母音記号を付すことができる。聖書に出てくる「ヤーヴェ」は、ローマ字に転記するならば、YHWHとなる。これに本来の発音の母音を加えるとTaHWeHとなり、「ヤーヴェ」ないし「ヤハウェ」と読むことになる。
 しかし神の名をみだりに発音してはならないという考え方から、聖書朗読の際にはこのYHWHの語は、「主」を意味する「アドナイ」(ADNY)という別の語で発音するべきだとされていた。……
 このADNYに母音記号を付したものは、ADoNaYとなる。母音の部分には、下線を付した。……
 ところでYHWHもADNYも四文字である。そこでYHWHの語は「アドナイ」と発音すべきだという指示のために、YHWHの上下に「アドナイ」の語の母音(下線の部分)を母音記号で記すということが行われた。するとYaHoWaHとなる。YaHoWaHは「アドナイ」と発音すべきなのだが、その決まり事が忘れられ、書かれた通りに「ヤホヴァ」「エホバ」と発音されるようになってしまった。
 したがってYHWHは、「ヤーヴェ」ないし「ヤハウェ」と読むのが正しい。また慣例に従うならば「アドナイ」と発音するのも適切だということになる。しかし「エホバ」と読むのは誤りである。(『旧約聖書の誕生』加藤隆 pp47-48)

とのことだから、エホバの証人」名前からして間違ってるじゃん(笑)。長々引用したが、『旧約聖書の誕生』かなり面白い。ちと高いけど、読書好きにはおススメ。さて、どんな文脈だったか忘れたが、エホバの彼女は新訳の「ヤコブの手紙」を指してのたまわく、

0119 愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るに遅く、怒るに遅くあるべきである。

ふーん。キリスト教版『怒らないこと』のススメかいな。もっともこの文章で、ヤコブさんかなりカリカリしてるんだけど……。

講義は次に「創世記」に飛ぶのだが、その前に、「ヤコブの手紙」の次節が目に入った。

0120 人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。

「お、これいいですね。イスラム教の人たちに読ませてあげたいですね」と言ったら、監視役(ちょっと離れたところで布教者を見ている)の女性も一緒に笑っていた。ヤコブの手紙は「信仰のみ」の救済を説いたキリスト教の本筋に反するとゆーことで、新教の連中に排撃されたらしいが、仏教の立場から見ると、割とよいことを言っている。こちらに全文が載っているので、よろしかったら。

創世記の話はソドムとゴモラに義人が何人いたら、神はこの都市を滅ぼさないでくれるか、という神(とゆーか「残念な山の悪霊」なんだが)とアブラハムとの交渉のくだりが面白いところ。

18:17 主はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。
18:18 アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。
18:19 わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行なわせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」
18:20 そこで主は仰せられた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。
18:21 わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行なっているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」
18:22 その人たちはそこからソドムのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、主の前に立っていた。
18:23 アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。
18:24 もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。
18:25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。
18:26 主は答えられた。「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」
18:27 アブラハムは答えて言った。「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。
18:28 もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるでしょうか。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら。」
18:29 そこで、再び尋ねて申し上げた。「もしやそこに四十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その四十人のために。」
18:30 また彼は言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが三十人を見つけたら。」
18:31 彼は言った。「私があえて、主に申し上げるのをお許しください。もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その二十人のために。」
18:32 彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」
18:33 主はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた。アブラハムは自分の家へ帰って行った。

結局、義人が10人もいなかったのでソドムとゴモラは滅ぼされちゃう……ってオチなんだが、不条理で狭量で残虐でキレやすい部族神と交渉して、義人の数を10人まで値切っても?街を守ろうとするアブラハム姿勢は、なかなか涙ぐましい。旧約聖書が編纂された地域(覇権を争う大国の進軍ルート)の人々が辿ってきたたいへんな歴史がいくばくか反映されているのだろうな。

浅野裕一諸子百家』読了。新出土資料の研究成果をもとにして、春秋戦国時代中国の諸子百家を紹介している。著者曰く、「夢が信じられる時代」に生きた実践思想家たちの栄光と挫折の軌跡である。『論語』ブームの昨今、孔子をはっきり「詐欺師、誇大妄想狂」呼ばわりするあたり、著者の強烈な個性に面食らい人も多いだろう。しかし、そのぶん、非攻兼愛を説いた墨子の十論、恵施の「歴物」十箇命題、公孫龍概念実在論など、あまり知られていない思想家に対して深い理解と共感にあふれた紹介がなされているので、読後の満足度は高いはずだ。儒教老荘趣味に偏った従来の概説書にくらべて、諸子百家の全体像を知るうえで、随分バランスのとれた、かつ読んで面白い読み物になっているのではないか。中国思想ものを読んでこんなに感動したのは、白川静を知ったとき以来かも。しばらく、浅野裕一がマイブームになりそうだ。

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