沢庵和尚、業を語る(1)

今日はオフ。学芸大でrjミーティングのあと、千駄ヶ谷に寄って散歩。
午後は精舎で原稿作成など。

『東海夜話』書写。(也→なり、是→これ など適当に読みやすく修正してます)

一 業とは萬(よろづ)の人のなすわざなり、身三口四意三の名なり、殺生、偸盗、邪淫、これは身になす三の業なり、妄語、綺語、悪口、両舌、これは口になす業なり、貪欲、瞋恚、愚痴、これは意のなす業なり、上の身口意の三業身になすをは身業、口になすをば口業、意になすをば意業と云ふなり、身口の二も意を離れてわざをなさぬなれば、つまる処は意業なり、故に貪瞋痴の三毒とて、意業を一切の悪業の本とす、貪欲より起つて屋焼人殺をし、人の物を取りて我私にせんとするより、千般萬端の悪事もいづるなり、瞋恚の怒より発(おこ)りて、親子の間にても不礼不義をなし、兄弟朋友の間にても争をなし、切りつ切られつ、討ち討れなんとするより、さまざまのこと出づるなり、また愚痴は暗鈍なる故に理をしらず、万事につきてひが事をもって理となすなり、人は理をもちてはひが事に随はず、随はんを随へんとすれば、喧嘩にをよぶ、これらは世間にありて人我相争ふ上の義なり、この外(ほか)愚痴の罪数ふべからず、(続く)
(『東海夜話』より)

「屋焼人殺」とか、表現がものすごく生々しく感じる。沢庵和尚の生きた時代の雰囲気なのだろう。内容は業についてのすごく真っ当で普通な説法(まだまだ続くよ)。それだけに尊いと思う。撥無因果(道徳否定)の野狐禅は近代の弊かと思いきや、沢庵和尚の時代も似たり寄ったりだったらしいから。

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