我終に寂しきことを知らず

東海夜話の書写はじめ。

 我終(つい)に寂しきことを知らず、問ひ来る人の帰ればあら閑(しづ)かなり面白やと思ひ、日暮れば今は早問ふ人もあらじ、我身に成りたりあら閑かやと思ふ、雨も月も閑かなれば我雨我月(わがあめわがつき)よと思はるゝなり、さりとてこの閑(かん)を楽んでかく閑居するにはあらず、少し心による処ありてかく閑居せり、もし閑を楽しんで山居を好まば世人の富貴を好むに同じ、蓼(たで)の辛みを食(は)む蟲あり、甘草(かんぞう)の甘きを好む蟲あり、辛きと甘きとはその身にあり、富貴閙熱(ねうねつ)と閑居寂寞とは変はれども、楽(たのし)む所は同じ、しかれば道を捨て楽みを取るは佚楽(いつらく)の人に同じかるべし、富貴を好んで人に諂(へつら)ひ、佛法を売りて渡世の営みをし、佛祖の道を泥土に墜(おと)さんよりはと思ひて、樹下石上に栖居(せいきょ)をせん人は楽みを求め山に入るにはあらじ。
(『東海夜話』より)

声に出して読むとじわーっと来る一文です。「この閑(かん)を楽んでかく閑居するにはあらず、少し心による処ありてかく閑居せり」なんて、かっこいいじゃないですか。

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