報恩講

10日11日の二日間にわたって東北地方にある浄土真宗寺院の「報恩講」でお話をさせていただきました。
出家する前からのお約束。初雪が降った去年と比べると、今年はずいぶん暖かでしたね。二日間でのべ150人ほどの門徒さんが参集。初日は、Abhinha-paccavekkhana(いつも心にとどめておくこと)をパーリ語で唱えた後、老・病・死・愛別離という真理と「私」の関係、業の理解と正見、というポイントについておっかなびっくり解説。二日目は、初日の補足のあと、カンボジア現代史を概観し、マハゴサナンダ師「伝統を保つ」を読みながら、五戒、慈悲喜捨、正念正知など初期仏教の基本的な教えを紹介いたしました。幸福への道は自力でも他力でもなく、因縁力で歩むのです……と締めようと思ったけどイマイチつながらなかったですね。でも、両日ともソウルフルな副住職のナイスフォローで救われました。正信偈と念仏和讃、二日間唱えたので、けっこう上手になりましたよ(笑)。ちなみに、東北のドライブはアイアンメイデンがすごくマッチしてました。
温かいおもてなしをしてくださったお寺とご門徒の皆様に感謝いたします。

参考:Abhinha-paccavekkhana
(いつも心にとどめておくこと)

いつも心にとどめておくためにこの言葉を唱えましょう。
老いることは当然のことであり、 私は老いを逃れることはできません。
病むことは当然のことであり、 私は病を逃れることはできません。
死ぬことは当然のことであり、 私は死を逃れることはできません。
私の、いとしく思うもの、 楽しく思うもののすべては、私から別れ、離れゆくものとなるのです。
私は自分の業(カンマ)を持っています。私の業を引き継ぎ、私の業を因として生まれ、業に従い、業を拠り所として、私の為すであろう事柄が、善きことであろうと、悪いことであろうと、私は、自らそれを引き継ぎ、自らその果を引き受けて行くのです。
このことを、いつも覚えておかなくてはなりません。

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〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜