生きるためのサティ

いつものように月曜日。ウェーサーカ招待状の作成、地方小出版の発送、パティパダーの細かい原稿作成など。

それでも脳は学習する

それでも脳は学習する

各メディアで絶賛、感動を呼んだ『壊れた脳 生存する知』のその後
高次脳機能障害」と共に暮らす日々の中で、脳は成長し続ける。
「壊れた脳」で生きる日常を綴る問題作!

三度の脳内出血で脳に障害を負った女性医師のエッセイ集。前著『壊れた脳 生存する知』はテレビドラマ化もされたそうだ。読んでたいへん勉強になった。

(前略)向こうから来る歩行者を観察していると、周囲に目を向けてしっかりした意識を持っている人は、数えるほどしかいないのです。たいていの人は、自分以外のまわりの人が自分をよけてくれると思って歩いているようなのです。
(中略)そんな中、「しっかり歩かなきゃ」と、いつも気合を入れている障害者のほうが、そういう人たちをよけたり、回り込んだりしてるのが、今の歩行者事情です。
 歩けるという事実は私の世界をとても広いものにしてくれますが、そのためにひどく疲れることも多く、がんばらずに生きるのは無理かな、なんて思ってしまいます。街を歩く人がもう少し自分の身体のありかに責任を持ってくれると、右脚一本で立っている人間が大きくよけて何倍も歩かなくてすむのになあ、と思いながら、ため息をついている私です。
 ためしに、すれ違う人の目にちゃんと意識の光が宿っているか、チェックしてみてください。すれ違おうとしているあなたのことを、相手が意識を持って見ているかどうか。その道を障害者が安全に歩けるのか、想像するのは難しくないはずです。
 ひとりひとりが、「相手がよけるだろう」じゃなく、「自分がよけよう」というスタンスでいてくだされば、見た目にわかりにくい障害を持つ人にも歩きやすい街になりそうです。
(二〇〇六・四・二〇)同書90-92ページ

……そうだよなぁ。日常のサティを絶やさないでいることが、自然な慈しみの実践なんだなぁ。けっこう抜け取るもんなぁ(自分)。ちゃんとしないといかんなぁと反省。他にも身にしみるいい言葉が随所に数々。

著者は仏教や瞑想にも関心を示しており、「生きるための機能」としてサティ、気付き(著者は「注意のスイッチ」という言葉は使っている)の重要性というところにも行き着いている。家事をするときなどに、なにげなく一々言葉で確認することも自然にやってるサティなんだと、以前スマナサーラ長老もおっしゃっていた。アビダンマ的に分析すればもちっと複雜なプロセスかもしれないけど。つねに気付きを絶やさないことの実践、「日常ヴィパッサナー」の生きた実践例、応用のヒントがこの一冊からずいぶん学べると思う。著者にとってはそれが生きるための命綱になっている。だから常人よりもはるかに真剣に「注意のスイッチ(サティ)」を入れて生活している。サティある人の言葉には、端々に智慧が宿るのだ。すごいね。著者のホームページもあった。

  • 仏教ブログのランキング:にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へに投票する。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜