「無常・因縁を知悉する」世界

Dhammacastの編集してたらどつぼにはまって精舎で夜明かし。朝のお勤めに参加してから帰宅して仮眠。昼から蔵前かやの木会館へ。スマナサーラ長老の月例講演会『なににも必ず限度がある〜「適度」を知って「爽快」に生きる〜』のスライド助手。「適度・限度を知る」っていうテーマにちょっと油断していたら、いきなり「無常・因縁を知悉する」世界へとグイグイひっぱられてしまった。以下、講義メモより。

※ブログ「hohiのPali語学習・作業記録」さんにもっと詳しいメモ(全編)「何にも必ず限度がある」 〜かやの木会館でのスマナサーラ長老月例法話メモ(2007年4月28日) が載ってます。そちらもぜひご覧ください。

  • これは常識ですが、
    • 私たちは物事に限度があることをほとんど忘れて生活しています。
    • それで取り返しつかない問題が起こるのでう。
    • 理性と落ち着くがなく、感情中心に生きるとこのトラブルが起こるのです。
    • 限度を知って平安に生きる人は、感情に勝った人であり、「理性人」なのです。
      • この「限度」とゆーのは「無常」のことです。(えっえぇぇぇぇーー!)
  • 無常(anicca)
    • Sabbe saNkhaaraa aniccaa 一切の行は無常です。
    • SaNkhaaraa(行)とは「組み立てた、出来上がった、合成したもの」であり、独立して・自立して存在するものではありません。
    • 現代日本語ではSaNkhaaraa(行)に現象という単語を使えます。
    • 一切の現象は無常です。現われては消えるものです。これが「諸無常」の意味です。
  • 現象の特色
    • paTicca samuppannaM 因縁により起こる。
    • khaya dhammaM, vaya dhammaM 減る・老いる。
      • 英語ではentropy?社会学にも使う言葉です。
    • nirodha dhammaM 滅する、なくなる。
    • virqga dhammaM 厭離に値する、執着に値しない。
    • 物質だけではなく、こころも同じく無常なのです。
  • 常住・永住論の侵入
    • 諸行は無常ですが、行でないものは「非無常」ではないでしょうか?
      • そう勘違いしてブッダの教えを離れ、常住・永住の実体論にをつくりあげた「仏教徒」もいました。
    • 確かに、saNkhaara (saNkhata) に対するasaNkhaara (asaNkhata) というコンセプトがあります。
    • しかしブッダは、 saNkhataもasaNkhataも両方まとめて、「諸法無我」(sabbe dhammaa anattaa)と説くのです。
    • 「変らない実体はない」という意味です。
    • 「一切皆空」も同じ意味です。実体論は徹底して否定されているのです。
  • 無常には断固反対
    • 生命は無常を発見しようとしない。
    • 無常に遭遇すると、悩む、悲しむ、苦しむのです。
    • 現象は変わることなく、常に在って欲しいと思うのです。
    • これは、論理ではなく、感情・気持ちなのです。
    • 人間の希望は、「如何に現象を変らない状態で保たれるのか」ということです。
    • しかし、これは無理・不可能なので、失望します。
  • 因縁
    • asmiM sati idaM hoti - asmiM asati idaM na hoti
    • あれがあるとき、これがある;あれがないときこれがない。
    • 全ての現象が現われる時、因と縁によって現われるので、常に条件付きなのです。独立・自立はできません。
    • これが、全てのものに限度があるということ。
    • 現象は一時的です。asaNkhaaraは「涅槃」だけです。
  • 例え
    • 千円で美味しいものを食べられる。楽しい気分を味わいます。
    • しかし、一万円、十万円、百万円とお金を使うことで、食べ物の美味しさが、十倍、百倍、一万倍に増えることはありません。
    • 食事の材料は「諸原因の一つ」に過ぎません。味の感覚、容量、消化能力、体力、体重、歳などたくさんの原因があるのです。
    • 結果は全ての原因が調和するところである。
      • 1つの原因を加えたり無くしたりしても、それで良い結果にはならない。しかし世間は単純な原因を決め付けて、それだけで良い結果を出そうとする。それで失敗する。
  • 速いか遅いか
    • 人々はものごとの因縁を変えて、変化を速くしたり、遅くしたりする。
    • しかし、常に限度があるのです。
    • 現象を起こす因と条件の中で、幾らかの柔軟性があるのです。
    • 例えば、豆を普通の鍋でゆでるより、圧力鍋の場合は時間は短いのです。ふつうの鍋で2時間かかる料理が、圧力鍋を使えば30分でできるかもしれない。
    • では、圧力鍋を使って、調理時間を3秒に縮めることができるでしょうか?
  • 因果法則を超えられない
    • 新幹線・音速の飛行機、ロケット、宇宙船などを造っても、因縁の範囲内で働かなくてはならないのです。
    • 長生きすることに成功しても、死を避けられません。完全無病は不可能です。
    • ブッダによると、お腹が空くことも「病」なのです。
    • 「現われるものは壊れる」ということは法則なので、人間の戦いも続くでしょう。
  • 発展か後退か
    • 人類は発展して、進化して行くものなのでしょうか?
    • 何故ある側面で発展すると、別な側面で後退するのでしょうか?
    • 人類が行っていること「発展」ではありません。
    • つねに変わりつづける流れの、変化の道を少々変えることです。
    • ダムを造っても川の流れを止められません。
    • あるのは、「発展」ではなく、「変化」なのです。
  • 手を加えて危険を招く
    • ものごとの自然な流れ、変化は安全でも危険でも、幸福でも、不幸でもないものです。
    • しかし、人は手を加えてその流れを少々変えるのです。
    • そこから、危険という現象が現われるのです。
    • ウランも人の手に入らなかったら、自然界では何の危険もなかったのです。
    • 人は手を加えなかったら地球温暖化もないのです。
  • 危険が生じる原因
    • 危険も因縁で生じます。
    • こころには希望・願望・好み・望みと言う感情があるのです。
    • 経験するものごとは変わります。好きなものがなくなったり、嫌なものが現われたりします。
    • おのずと手を加えたくなるのです。
    • しかし、私たちは「因果法則を知り尽くしてない」のです。
    • その結果、失敗は大量で、成功は少々ということになるのです。
  • 限度を超えると「神頼み」
    • 人も、家も、町も自然に変わって行きます。それには問題はありません。
    • しかし、町が火事になったならば、人の管理出来る範囲を超えているのです。地震の場合も、原発の臨界事故の場合も同じです。
    • 我々には自然が暴走しているように感じるのですが、自然は暴走しません。
    • 因縁に手を加えることは不可能です。
  • 地雷を踏まないこと
    • 科学、経済、政治、家族などの管理においても、
    • 人の生き方、精神、こころにおいても、
    • 原因をいじって流れを勝手に変えても構わないが、因縁が変えられる範囲にリミットがあることに注意しなくてはならないのです。
    • 世界も自分のこころも、手に負えない状態になるまでいじらないことです。
  • 無知と感情が問題
    • 危険なのは自然の変化ではなく、こころの無知と感情なのです。メスを入れるべきところはこちらです。
  • 諸悪莫作
    • 一切の罪を犯さないこと、善を行うこと、こころを清らかにすることが諸仏の教えです。
    • しかし、人は物質をばかり変えようと無駄の努力をしています。
    • 無知なこころで、汚れたこころで物事を変えてはならないのです。
    • 俗世間の生き方こそが危険です。苦しみを延々と保つ行為です。

(後略)

こんな調子で、ものすごい話が午後5時半まで。途中雷鳴が鳴り響き、お空もびびって泣き出しました。でも終わった頃にはすっかり止んでました。長老、傘持ってこなくて正解でした。

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〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜