玄侑師のトホホなスピリチュアル批判

月刊『文藝春秋』2007年5月号に「霊に個性はあるのか? 江原啓之ブームに喝!」と題して玄侑宗久師が書いている。全体的に生ぬるくて何が言いたいのか解らない文章なのだが、彼が仏教の「死後」観を述べているくだりで、眼が点になった。英国心霊学を下敷きにした江原氏のスピリチュアルに関する「八つの法則」とやらを論じたくだりなんだが……

 たとえば第一番目の法則である「霊魂の法則」。要するに、我々が霊的な存在であって、魂は肉体が滅びようとも永遠だという。この霊肉二元論がすべての前提になっている。
 そしてここからがイギリス心霊学独特の解釈なのだが、「魂には個性があって、個性は永続する」とされる。いま生きている自分には、もともと具わった魂の傾向があって、それが永遠に続くというのである。
 仏教ではこのような「個性が永続する」という考え方はしない。人の魂は、四十九日たてば木っ端微塵になる。つまり中陰を経て全体性に溶け込む。
 しかし死んだら魂は雲散するという仏教の考え方より、現在の自分の個性が来世に続くと思った方が、現在の人生を充実させやすいという面は否定できない。だから、カウンセリングには向いている、とは思う。(同誌195ページ)

えーーーーっ!「人の魂は、四十九日たてば木っ端微塵になる。つまり中陰を経て全体性に溶け込む」って何のこっちゃ? どこのどんな経典にそんなこと書いてあるの? だいたいスピリチュアルに釣られて「魂」なんて使ってる時点で迂闊だし、「全体性」って何じゃそりゃ? ほんと言葉の使い方がいい加減すぎて話にならない。お坊さんは仏教のこと全然解っていない、という負のサンプルになっちゃってる。スマナサーラ長老との対談であれだけ丁寧に輪廻について説明受けておきながら、天下の『文藝春秋』(苦笑)でこんなわけわかんない見解を「仏教では」として垂れ流されたのではたまらない。文藝春秋社友の江原通子さんが読んだらどう思うだろうか。これが日本仏教の水準を現しているとしたら事態は深刻だ。かなりがっかり失望した。住職のひとりごとの全雄師が「お坊さんが困る仏教の話」を読んで 2新潮新書『お坊さんが困る仏教の話』のいい加減な内容に苦言を呈しているけど、出版社はもうちっとまともな書き手を発掘する努力をすべきだ。こんなことでは、日本は仏教世界の笑いものだ。恥ずかしい。

立場上、僕が玄侑師を批判しても得なことは一つもないし、むしろ損ばかりだと思うけど、まぁいいや。

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〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜