パユットー師『仏法』の詳細目次

これまで何度か紹介してきた『仏法 自然の法則と生きることの価値』プラプロム・クナーポン(パユットー師)著/野中耕一訳(ゴータミー精舎でも発売中)の目次を抜書きしてみた。

仏法……目次

序論……まず理解すべきこと 1

第一部 中に縁る説法……自然界の中立の真理 17
 第一章 生きること(生命)とは何か?……五蘊 19
  生命を構成する五要素
 第二章 生きること〈生命)とは何か?……六処 26
  知覚と感覚の領域
 第三章 どのように生きるか?……三相 61
  一切のものの自然の特徴
 第四章 生きているとどうなるか?……縁起 81
  一切のものは依存する
 第五章 縁起に繋がる法……業 166
 第六章 縁起に繋がる法……四聖諦 182
 補論 縁起における因縁と業について 194

第二部 中道……自然の法則に従う実践 217
 第一章 総論……いかに生きるべきか 219
 第二章 中道の各論 240
  一.正見 240
  二.正思惟 282
  三.正語 297
  四.正業 297
  五.正命 297
  六.正精進 315
  七.正念 320
  八.正定 341
 補論 よき生き方は三学で 353

 あとがき 390

これだけでは、本書の特色はイメージしにくいので、以下、前半部について中見出しと小見出しも拾ってみた。箇条書きになっている本文の重要箇所も一部抜書きした箇所がある。

第一部 中に縁る説法……自然界の中立の真理 17


 第一章 生きること(生命)とは何か?……五蘊 19
  生命を構成する五要素
  一、実相(自性)
  二、五蘊と五取蘊(Upaadaanakkhandhaa)、或は生命と問題である生命
  三、倫理面の価値


 第二章 生きること〈生命)とは何か?……六処 26
  知覚と感覚の領域
  一、「生命」が世間と接触する道
  二、実相
   「触から受け継がれる法の過程」(その一)
   「触から受け継がれる法の過程」(その二)
   処が働かなければ、世間は消え、人間にとって、生きることは無意味になる
   注釈
  三、知識の正しさと間違い
   (一)二つの真諦(Sacca)
    世俗諦(Sammuti-sacca)
    真諦(Paramattha-sacca)
   (二)三顛倒(Vipallaassa)
  四、処に関する仏語
   (一)一切、世間、様々な名義(Pa*n*natti=概念)
   (二)惑える者にも、覚知する者にも同じ真実
   (三)大いなる心、念ありて慧に行く
   (四)自由と楽の道を歩む
  五、倫理面での価値
   (一)善―不善、善―悪の面
   (二)楽―苦の面
   (三)慧を深める面
   (四)一般的な実践方法

   
 第三章 どのように生きるか?……三相 61
  一切のものの自然の特徴
  一、法の本質、或は、実相
   (I)無常性(Aniccataa=Impermanence)
   (II)苦性(Dukkhataa=Conflict)
   (III)無我性(Anattataa=Soullessness or Non-self)
  二、倫理面での価値
  (一)無常性の原理
   (I)外部に対して放逸ではなく、因縁について正しい知識で、改良改善の努力を急ぐ、慧のある生き方
   (II)因縁を覚知して、心の中が自由で曇りがなく、解き放たれて楽のある慧のある生き方
  (二)苦性の原理
   (I)行にとって当然の苦は、覚知してわが苦として取り込まず、因縁を知る慧で扱うべき任務である。
   (II)四聖諦の原理が教えることは、苦は、慧が覚知して起こさず持たず、求める楽を自らの生きることへと変える。
  (三)無我性の原理
   (I)最初の段階は、渇愛に関する。……
   (II)中間の段階では、見の面で、……
   (III)高い段階は、無我性の原理を知ること。……
   (IV)一般的に言うと無我性の原理は、無常性の原理と苦性の原理とともに、他の法の原理、特に業の原理と解脱のための実践の原理の、真の正しさを主張するものである。……


 第四章 生きているとどうなるか?……縁起 81
  一切のものは依存する
  一、法の本質、或は、実相
  (一)地位と重要性
  (二)縁起の道理における文とその関係の型
   (I)一般的な縁起の道理
   (II)支の説明原理、或は、応用原理
    (i)随順縁起
    (ii)逆の縁起
  (三)縁起の道理の解釈
   (I)世間は「集」なりと仏陀は言われた、など、仏語を表現に従って解釈して、世間と生命の発展を示す形式での説明。
   (II)生命の生起と滅の過程、及び人間の苦を示す形式での説明。
    (i)現世、来世など世と世の間、すなわち、界をまたぐ形式で、広範囲にわたる過程を説明する。
    (ii)生きていく一瞬一瞬を通じて絶えず回転している過程を示す。
  (四)初歩の理解のための要約
   (I)「苦」の意味
    (i)苦苦性(Dukkha-dukkhataa)
    (ii)壊苦性(Vipari*naama-dukkhataa)
    (iii)行苦性(Sa*nkaara-dukkhataa)  
   (II)一切のもの、すなわち、因縁の流れであり、真に不変の自我はない
   (III)一切のものは因縁の流れの中にあって、根本原因はない。造物主、超能力者は要らない。
   (IV)因縁の流れを覚知しなければ、奴隷のように生き、葛藤が生じる
   (V)覚知する智慧は、自然界の法則から、その主人であるかのように利益を受ける。
   (VI)執着する人間と、慧と共にある人の生き方の差
  (五)(伝統的)形式による説明
   (I)項目(支)と構造
   (II)順序ごとの構成要素、或は、支の定義
   (III)最も広い形式での説明の一例
  (六)日常生活における意味
   (I)簡単な意味
   (II)簡単な関係の例示
  (七)いくつかの法の深い意味
   (I)行に道を開く無明を養う漏
   (II)渇愛は見と関係し、無明に依存する
   (III)取は生命の循環を回転する大事な結び目
  (八)中に縁る説法としての縁起


 第五章 縁起に繋がる法……業
  一、法の本質、或は、実相
  (一)自性法(Sabhaava-dhamma)の面における業と倫理面の業
  (二)号の原理から分離すべき間違った教義、或は、見解
   (I)宿世因論(Pubbe-kata-hetu-vaada=Past-action determinism)
   (II)自在天所変因論(Issaranimaana-hetu-vaada=Theistic-determinism)
   (III)無因無縁論(Ahetu-apaccaya-vaada=Indeterminism or accidentalism)
  (三)業の結果をもたらすことに関して理解すべき微細な面
  二、倫理面の価値
  (一)因果を確信し、行為と行為の結果を因縁に従って見て、霊験あらたかな河のような迷信を軽々しく信じず、噂に驚かない人にさせる。
  (二)自分が求める果、望む目標は、自ら行って[達成]出来る、或は、成功することを分からせる。よって、自らを助け、精進して、[生きる。]幸運を待ったり、棚ぼたを期待したり、願掛けなどのような結果を待たない。
  (三)自分自身に対する責任として、悪業を控えさせ、他人に対しての責任として、他人を助け善を施させる。
  (四)人は、自己を改良して善くなるためになすべき当然の権利と責任がある。自己を善くするか、或は、悪くするかは同じように可能であるが、すべての人は、諸天も梵天も称賛する以上に最勝になれる、とする。
  (五)美徳、能力、善悪、実践行為が、人間の優劣を判断する道具であり、生まれや階級により分けるべきではない、とする。
  (六)前世の業の面では、教訓として、因果により自分で思念、理解することを知り、他人だけを非難せず、改良改善し、正しく繁栄進歩する計画を立てることを知るために、現世で持つ、自分の元手である基礎を見させる。
  (七)凡夫については、未来に希望を持たせる。
  三、これらの価値を仏語に見る。
  (一)一般的な意味
  (二)迷信を信じず、因果を信じる人間
  (三)実践は懇願、希求の期待を持たず行うべし
  (四)出生、階級ではなく、行為を基準にする
  (五)自助
  (六)未来のための心への警告


 第六章 縁起に繋がる法……四聖諦
  一、初歩的理解
  (一)四聖諦の大悟=縁起と涅槃の大悟
  (二)四聖諦を学ぶには四聖諦に対する義務を知らなくてはならない
   (I)「苦」
   (II)「苦集」
   (III)「苦滅」
   (IV)「苦滅道」(苦の滅尽へ導く道)
  (三)四聖諦と縁起はどのように包含し合うか
  (四)仏陀は四聖諦を大悟し、四聖諦を教えられた。
  二、四聖諦の顕著な価値
 四聖諦の原理はすでに述べたように、仏教の教理、実践を含むすべての法の原理を包含するのみならず、それ以外に多くの注目すべき顕著な価値を持っている。要約すると次のようになろう。
  (一)原因結果の体系に従い、問題解決を実行する慧の方法であり、いかなる問題の解決方法であれ、価値と適切な理由があり、これと同じ方向で実施すべき、模範的な方法の体系である。
  (二)いかなる超自然的な、或は、霊験あらたかな力にも言及せずに、自然にある真理の原理を用いて、人間自身の智慧によって、自分の生き方の問題を解決し処理する。
  (三)すべての人の生き方に関係する真理である。人が関係していることから、どれだけ遠く離れても、価値のある自分自身の行き方をし、それらの外部のことと善き結果を生むような関わり方をするなら、その人は常にこの真理の原理に関係して役立てる。
  〈四)生き方に関わる中立的な真理の基本、或は、真の生き方自体のことである。人間が自分の生活の問題を解決し発展させるために、芸術と科学を創造するか、或は、何らかの仕事をしたとして、それらが繁栄しても廃れても、消え去っても、或は、新しく生まれても、この真理の基本は永続し、新しく、如何なる時代を通じても役に立つ。


 補論 縁起における因縁と業について
  (一)縁起の特に注目すべき点
  (二)因と縁の意味
  (三)多種の縁から多様な果
  (四)業に対する実践方法
   (I)因と果の一致の原則を知る
   (II)求める善い結果をはっきりと定める。
    (i)自然の法則に従う善い結果
    (ii)人間の定義と嗜好に従[う]善い[結果]とは
    (iii)求める果を生むために因縁を完全に揃える
    (iv)修習し自己改良してさらに善業を行わしめる(果を得る)
  (五)先業(古い業)を役立てる
  (六)業を償うことではなく、業を開発するために生きる
  (七)個人の段階の業、社会の段階の業
   (I)個人のレベルの業
   (II)社会のレベルの業


第二部 中道……自然の法則に従う実践 217


 第一章 総論……いかに生きるべきか 219
  (一)中に縁る説法に続く中道の実践
   (I)邪道(Micchaa-pa*tipadaa)
   (II)正道(Sammaa-pa*tipadaa)
   (I)無明の食
   (II)明と解脱の食
  (二)中道に関する初歩的な理解
   (I)中道
   (II)業(kamma)の滅尽
   (III)最勝の生き方の道と仏教倫理
   (IV)善友を持つことは最勝の生き方である
   (V)出家と在家の生き方
   (VI)岸を渡るためで、持つために担ぐためにあるのではない
  (二)中道の体系
   (I)一つの道だが、八支で構成
   (II)人の実践体系と業の開発体系
   (III)三学の修習体系が生み出す結果は、すなわち、道の人生行路
    (i)増上戒学(Adhisiila-sikkhaa=Training in Higher Morality)
    (ii)増上心学(Adhicitta-sikkhaa=Training in Higher mentality or Concentration)
    (iii)増上慧学(Adhipa*n*naa-sikkhaa=Training in Higher wisdom)
   (VI)常に用いる道の三支
    (i)正見
    (ii)正精進
    (iii)正念


 第二章 中道の各論 240
  中道の各支[を]構成する項の意味


  一.正見 240
  (一)正見の重要性
  (二)正見の定義
  (三)実践の道における正見
   (I)慧の開発の段階
   (II)信の基本
    (i)信に関して理解すべき項目の要約
    (ii)正しい信の特性と義務の要約
    (iii)信の基本を示す仏語
     (1)カーラーマ経(Kaalaama-sutta-ka*nkhaaniya*t*thaana)に述べられた見解
     (2)「真理の護持」の態度
     (3)慧で調べて信を作る
     (4)信は重要だが、ただ信だけでは、行き詰る
     (5)慧で正しく知見すれば、信で信じることはない
  (四)正見を生じさせる要因
   (I)他からの声(Parato-ghosa=Hearing or learning from others)
   (II)如理作意(Yoniso-manasikaara=Analytical reflection, Critical reflection, Systematic reflection)
   (I)善友
   (II)如理作意


  二.正思惟 282
  (一)定義と意味
  (二)否定形を使う理由
   (I)生命の開発体系の法性、或は、自然の体系である生命の開発の如実に従う。
   (II)より広範囲な包括
   (III)絶対的な意味
  (三)法を学ぶことは、すなわち、自然を学ぶことである。その意味を不放逸に見るべし。
  (四)善くない考えを慧の方法で解決する


  三.正語 297
  四.正業 297
  五.正命 297
  (一)定義と基礎的な意味
  (二)一般の教えにおける拡大された意味
   (I)身体を清浄にする三つのこと
   (II)言葉を清浄にする四つのこと
   (III)心を清浄にする三つのこと
  (三)西洋は自然と体系としての倫理を知らない
  (四)佛教と一神論の戒の差異


  六.正精進 315
  (一)意味と種類
  (二)精進の特別な重要性
  (三)根のバランスを取ってほどほどの精進


  七.正念 320
  (一)定義
  (二)不放逸の立場の念
  (三)念は社会を維持するのを助けるのと同じく自分の身を維持する
  (四)慧を開発し漏・煩悩を駆逐する過程の念の役割
  (五)正念における念処
   (I)四念処要約
    (i)身随観(観身不浄念処=Kaayaanupassanaa)
    (ii)受随観(観受苦念処=Vedanaanupassanaa)
    (iii)心随観(観心無常念処=cittaanupassanaa)
    (iv)法随観(観法無我念処=Dhammaanupassanaa)
   (II)四念処の重要な内容
   (III)実践の過程
   (IV)実践の結果
    (i)清浄な面
    (ii)自由の面
    (iii)慧の面
    (iv)苦を滅尽する面
  (六)身体と心の健康


  八.正定 341
  (一)意味と定の水準
  (二)定の修習の色々なレベルの成就
  (三)定を修習する方法
  (四)定の重要性の範囲
   (I)定の真の目的と限られた範囲
   (II)止―観(Samatha-Vipassanaa)
   (III)心解脱―慧解脱、慧解脱―倶解脱
  (五)定を使って役立てる


 補論 よき生き方は三学で 353
  (八正道 ← 三学 → 四修習)
  (一)人間は学習により最勝の生き物となる
  (二)人間の潜在力、佛教の出発点
  (三)善く生きること(生命)とは、すなわち、学んで生きること
     三学で人間を開発すれば、聖道を進んで生きること
  (四)生きることは三面がある、修習、学習は三つの部分を接合し、人を一体として生きること、それが学習について自然なことである
   (I)環境との関係の面
   (II)心の面
   (III)慧の面
  (五)三学、生きることを開発する学習体系
   (I)戒とは、……
   (II)定とは、……
   (III)慧戒とは、……
  (六)三学の体系は修習開発の仕事を用意する基礎を改善することから始まる
   (I)律は、……
   (II)根律義(indriya-sa*mvara)は、……
   (III)資具の受用(Paccaya^pa*tisevana)とは、……
   (IV)正命は、……
  (七)学習の進行には支援の要素がある
   (I)学へ導く段階、或は、学の設置
  (八)社会がお膳立てする教育は、真の教育を遮ってはならない
   (II)三学の段階、或は、自然の真の学習過程
  (九)すべての仕事で一体として開発するための三学の体系
  (十)学が修習、学習を実践し、修習(Bhaavanaa)で成果を測る
 残された問題


 あとがき 390

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