釋興然 南方僧団移植事業(「住職のひとりごと」より)

全雄師による釈興然の顕彰記事(中外日報)第二回は、興然が手がけたテーラワーダ仏教サンガの日本移植事業について。まさに現代の日本テーラワーダ仏教協会の活動に直接つながっている歴史だ。ご自身のブログ「住職のひとりごと」に転載されている。

明治四十三年、興然は釋王殿建設を発願した頃、『釈尊正風』という冊子を発刊している。

それによれば、当時の仏教を批判して、「今日の如く仏教を世道から厄介視せられ、教育に於いて関係なきが如く思わしめるようになったのは何故かと云うに、多くは之れ教導者の罪である。僧侶の教えない咎である」と述べた。

決して仏教が衰退したからではなく、日本仏教が分裂多岐にわたり正道を見失い迷ったからであるとして、「仏教に南北の教系を異にし、宗派に千百の別はあるが、その最初の開教法主は仏陀釈尊である。(中略)だから真に仏教の仏教たる所以を明らかにするには、どうしても釈尊の仏教そのものの生命に帰らなければならぬ」と釈尊の教えに回帰する必要を説いた。

そして、興然は、釈尊時代の初期仏教の伝統を保持すると言われる上座(テーラワーダ)仏教によって信仰の統一、行動の一致、目的を明白にすべきだと主張している。

この確信に満ちた筆致に、自らがセイロンで受けた上座部所伝のパーリ律による尊い戒律の護持とスマンガラ大長老のもとで修行した上座仏教の瞑想修行、そして経論を学ぶためのパーリ語修得など、これらに対する興然の並々ならぬ自信の程が窺い知れる。

昭和五十三年に三会寺のパーリ写本を調査したパーリ学仏教文化学会の前田惠學・愛知学院大学名誉教授は、「興然師が有名経典の多くや基本的な戒律、一部論蔵にまで研究が及んだことが分かる。特に戒律とサティパッターナ(四念処)の瞑想法を重視したことが写本リストを見ても窺われる」(『前田惠學集』三)と述べている。
(後略)

テーラワーダ仏教のヴィパッサナー瞑想実践についても、興然は日本における先駆者だったのかもしれない。何かと教えていただくことに多かった全雄師の連載。こころより感謝申し上げます。

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