西遊記と南華密教

研究日。もろもろの所用で瞑想合宿中の熱海仏法学舎へ。夕刻のお勤めと瞑想、質疑応答の時間に参加。大般涅槃経に出てくるアーナンダ尊者と釈尊の会話について質問した。22時の新幹線で帰東。

往路の「こだま」で読んだ本。

密教秘伝『西遊記』―張明澄、究極の密教を語る

密教秘伝『西遊記』―張明澄、究極の密教を語る

「スマナサーラ長老による、“『般若心経』=「空即是色」は間違っている”論に対して、満足な反論を加えているのは、残念ながら当ブログだけです。」(十二縁起ー空と疎外−「悟り」へ)と豪語する(確かにそうだと思う)南華のブログで紹介されていた「南華密教」の概説書。日本でも馴染み深い『西遊記』は、実は中国で独自の発展を遂げた「南華密教」の秘儀を比喩の形で隠し伝えた書物だった、とゆーお話。キワモノっぽい印象を受けるかもしれないが、原始仏教からアビダルマ、中観思想、唯識論、チベット密教にいたるまで網羅した、ちょっとした仏教思想史概説としても楽しめる。。『倶舎論』の五位七十五法や唯識思想の説明はこれ以上ないというほど分かりやすいし、そんじゃそこらの学者の書いたものよりよほど的を得ている。また、仏教を学ぶ者や修行者が陥りやすい罠への警告、度重なる廃仏に見舞われた中国仏教の歴史を踏まえた社会と宗教の関係論など含蓄ある解説はちょっと他では読めない面白さも随所にちりばめられている。著者の知性には舌を巻いた。まぁ仏教が歴史的に「進歩した」か否かという点では根本的に見解の相違はあるけどね。しかし「あとがき」に出てくる「神通」の説明だけは、他人の精気(ここでは「神」)を自分に取り込んで(巧みに奪って)長生を得るという、道教的なエグイ人間観の残滓がドロッと滲み出しているように感じてドン引きしたが。これは文化の差というものか……。(追記:この点については、nangeenshaさんのコメント参照のこと)

ちなみに現代の華人社会において、テーラワーダ仏教の影響力はどんどん増大している。昨年入滅されたK.スリダンマナンダ大僧正を例に挙げるまでもなく、華人がマイノリティの社会(マレーシアやインドネシア)においても、仏教の復興はテーラワーダ仏教の手で推進されてきた。従来の大乗・小乗とゆー中国仏教の思想枠組みも、相互交流によってどんどん変容してゆくのではなかろうか。

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