中外日報「近代の肖像」で野口復堂を紹介 その2

『中外日報』連載「近代の肖像 危機を拓く」第100回:野口復堂の後編。こちらの続き。

編集部のTさんが、大正時代の中外日報マイクロフィルムから、野口復堂が連載していた教談などの記事を何枚かコピーして下さった。なかでもちょっと面白かったのが、大正5年(1916)4月2日付の「若し中外日報なかつせば」というコメント集の一節。

教談講師 野口復堂
若し中外日報無かつせば、いかでか本邦諸宗教内外の起り事を公平に知る事を得んや。又諸賢諸大徳の高論卓説を片手落ち無く窺ふことを得んや。世間凡多の諸新聞諸雑誌はあれど、政党■■にあらざれば多くは一宗一党の利己にあらざるはなし。此間に立ちて至公至平のバランスを保持するは中外の特色と謂つべきものにして。中外は猶ほ宗教界の浄瑠璃鏡の如し敢て鏡の落度を言はゞ。岡山■■の
 「いつはらぬものといふなる鏡さへ右を左に写すなりけり」
位で。之れは鏡の本来で敷方に無いものである。今後宗教界多事益々鏡面を研きて実写に努められんことを至嘱。
(中外日報 大正5年(1916)4月2日一面 ■は読み取れず)

明るくていいなぁ、復堂節は。

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〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜