病猫記

27日、実家の黒猫ジジを見舞う。妹も来た。

ジジは先週よりまた少し痩せた。数日前から足腰は立たずトイレに行けなくなった。昨日は虫の息だったが、鼻に詰まった鼻糞を掻き出してあげたら、呼吸も落ち着いたという。固形の餌は受け付けずブドウ糖を溶かした水を一日数回、母からもらうだけ。目の輝きは残っているが、瞳の前で手をかざしてもほとんど反応しない。あまり見えていないかもしれない。撫でてやると背中や胸や喉にゴツゴツした腫瘍が育っているのが分かる。時折痛そうにするので、俄か気功師のように、手をかざしてやる。そういう事も習っておけばよかったかな、と思う。

輪廻する生命が、死に際して持って行けるものとは何だろう? 無論、知識とか地位とか名誉とかではない。一言でいえば、「性格」なのだろう。穏やかで無欲なままで逝く彼の後生は、妄想の渦に苦しみぬく多くの人間たちのそれに比べて、心配は少ないだろう。彼は動物に生まれたが、死の恐怖の薄い環境で生きることができた。安心できる環境で大切にされて死ぬまで生きること。動物はそれだけで満足してしまう。その以上を観念することはない。

ここのところ毎週、ジジのいる実家に通っている。その度に心安らかになる。夜道を帰るとき、ごく自然に慈しみの気持ちが湧いてくる。家につく頃には、心に刺さったトゲのような拘りも、ひとつかふたつ拔けている。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜