日本仏教の「新興宗教化」は命取り

またまた、tenjin95さんという曹洞宗のお坊さんが主催されているブログ『つらつら日暮らし』の「えっ!大乗仏教は本当の仏教ではないんですか・・・?」というエントリへのコメント転載。このやりとりを受けて、というわけではないそうですが、tenjin95さんは「何故、宗教者は自分が正しいというのか?」というエントリもアップされていますので、そちらもご覧になれば、双方の相違点がよく分かるかもしれません。

それは意識しすぎです。 (寺男)

2005-10-02 12:55:30

tenjin95さん、お返事ありがとうございます。

まず、柄谷氏と渡辺氏の名前取り違え、お恥ずかしい限りです。コピペが習い性になっているだけに怠惰な不注意でした。

ところで「輪廻転生を前提にしていないからジャータカは読めない」ということになったら、すべての大乗経典も読めなくなってしまいますが、大丈夫ですか? 祖師の言葉も話半分になります。

なるほど、日蓮正宗などで経典よりも日蓮上人の御書を重視する、という流れは異端的なものだと思っていましたが、お話を伺っていますと曹洞宗も含めて経典よりも祖師の言葉を重視する、釈尊をバージョンアップした世界的宗教家である祖師の教えを宣揚する、という方向に向かっているようです。

それってひじょーに分かりやすい「新興宗教化」の流れではないか、という感想を抱くのですが…。やはり大乗仏教だから、新興宗教という社会的なトレンドを敏感に取り入れて変化しているのでしょうね。

社会的な問題への対応、ということでいえば、テーラワーダ仏教の側ではジャータカを読むとよく分かります。大乗仏教よりも的確な対処法をまとめてあると僕は思います。大乗仏教の方はまず「上座部は社会的な問題に対応していない」という前提で話を進めたがりますが、それはあまりにも不当な偏見です。

だいたい近代になって初めて世界仏教徒に団結をよびかけたのはスリランカのダルマパーラ居士(のち比丘)のグループです。国内の宗派争いに明け暮れ、せいぜい「先進国」である欧米に学生を送って近代人の体裁を整えることしか考えていなかった日本仏教徒に、仏教徒の連帯という真にグローバルな視野を抱かさせたのは、スリランカのテーラワーダ仏教徒の活動です。もちろん、彼らは決してテーラワーダ仏教の教えを振りかざしたわけではなく、当時の日本仏教徒も共有していた通仏教的な理念をかかげていたのです。

僕もそれに倣っています。だから「テーラワーダ仏教」を基準にして大乗仏教を批判しているのですらないのです。というのも、テーラワーダ仏教は日本以外の諸外国の大乗仏教とはまったく摩擦なく共存できています。経典は違ったとしても仏教の基本的なフォーマットを護持しているからです。日本ではほとんど見かけませんが、他の仏教国ではスリランカで制定された国際仏教旗をどの寺院でも掲げていますし(日本でも全仏のHPに載ってますが…)。

ちなみに日本仏教も諸外国で他の仏教徒と仲良くやっていますが、それは祖師教の要素をなるべく薄めているからです。日本ではブッダより崇拝されている祖師教に世界宗教としての普遍性がないことは、海外布教の現場を知っている人は皆痛感していることのようです。結局、偉そうなことを言っても、「他社」を相手にするときには釈尊に頼らざるを得ないのです。

インドで活躍されている佐々井師にしても、日本大乗の代表選手のように言われていますが、彼が民衆に説いているのは「三宝に帰依し、五戒を守って誇り高き立派な人間になること」です。僧侶も五戒を守らない日本では考えられないことです。佐々井師が用いているのもパーリ語の礼拝式です。彼は破天荒な僧侶ですが、まぎれもない普遍的な仏弟子の道を歩んでいます。

僕が批判しているのは、日本仏教に特有な「新興宗教」的な要素であり、世界仏教の大勢からどんどん孤立化してタコツボ化しているように見える現状です。その特殊性をお釈迦さまの教え以外すべて動員して懸命に自画自賛している姿があまりにもこっけいだからです。またそのような方向性は、自分達の思想的立脚点を見失わせてしまい、ふたたび日本仏教を壊滅に導く原因になると危惧します。

批判のために用いているのは釈尊の教えだけです。それもテーラワーダに限らない通仏教的な要素です。釈尊の教えは完成されたセットなので、日本仏教を批判するためにいちいちゴミ箱をあさるような真似はしていません。釈尊の弟子であれば当然思い至るであろう、間違ったポイントを指摘させていただきました。しかし批判すればするほど、釈尊から遠ざかろうという意思表明しか帰ってこなかったことは残念です。

「悟りの光」というのは瑩山紹瑾禅師の語録から取った、というのは冗談ですが僕たちが慈悲喜捨の随念で用いている決まり文句です(http://www.j-theravada.net/3-jihi.html)。

では、すべての衆生とともにtenjin95さんが幸せでありますように。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

どうだったでしょうか?さらにレスがありましたが、そろそろ終結という感じです。tenjin95さんはグザーヌスだのカントだの渡辺一夫だの仏教以外の思想家をたくさん繰り出して論じられているのに比して、僕の側からの批判は呉智英夫子の差別語狩り批判なみ?に単純明快です。そんなこと言ったって、仏教はブッダの教えだろ、ってところです。この単純な主張が通るようになるまで、これからも硬軟取り合わせてチャレンジしていきたいと思います。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜