Jizos for Peace 怨親平等

広島原爆の日
漫然と過ごしてしまったけれど、せめて他者の善行に随喜したいと思います。

1945(昭和20)年8月9日アメリカで一人の女児が誕生した!
〜2005年・被爆60周年展示企画〜
『平和地蔵プロジェクト(Jizos for Peace)』は、アメリカのオレゴンに住む小児科医ジャン・チョーゼン・ベイズ(Jan Chozen Bays)さんが始めた平和運動です。
 ベイズさんは1945年8月9日生まれで、その日、アメリカは広島に次いで2発目の原子爆弾を長崎に投下しました。平和主義者の両親のもとで成長したベイズさんは、日本へ強い関心を持ちました。医学の道を選択しながらも、瞑想の世界で禅に触れ仏教(曹洞宗)に帰依しました。そして、学校の廃屋を利用して「地蔵山大願寺」を設置。現在、住職(澄禅ベイズ)を務め、また小児科医として虐待された子供たちの診療に当たっています。
 2002年9月、広島を訪れて初めて被爆の実相に触れて衝撃を受けたたベイズさんは、地蔵を通しての慰霊と平和への取り組みを決意しました。
 それが「平和地蔵プロジェクト」です。
 広島・長崎にアメリカが原子爆弾を投下して60周年に当たる2005(平成17)年の夏、原爆の犠牲となった30余万人の慰霊と合わせて世界平和祈願のため、アメリカで巡礼団を組織し約30万体の地蔵を持って広島・長崎を訪問します。
ソース:ナガサキピースミュージアム

「日米両国から平和の祈り発信」
壬生寺の石仏、米国の仏教寺院へ
壬生寺から米国の寺院へ寄贈する石仏を確かめる松浦俊海貫主(京都市中京区)
 地蔵尊などを集めた千体仏塔で知られる壬生寺(京都市中京区)の石仏108体が来月、初めて海を渡って米国の仏教寺院に寄贈される。
 米国人として謝罪の意を込めて原爆犠牲者の供養を続けるオレゴン州の尼僧の献身的な活動に同寺の松浦俊海貫主が共感。1日に尼僧らが入洛するのを前に、松浦貫主は「小さな石仏を通じて日米両国から平和の祈りを発信したい」としている。
 石仏が贈られるのは、同州の寺院グレイト・ヴァウ・モネステリー(地蔵山大願寺)。5年前から住職のジャン・澄禅・ベイズさん(59)と同寺で交流が始まり、今春には「壬生寺の石仏群の仲間に加えて」と自作の地蔵尊像を持参するなど親交を深めてきた。(後略)
ソース:京都新聞電子版2005年7月21日

地蔵108体、“平和の使者”…壬生寺から米人尼僧へ
(前略)ベイズ師は、平和主義者という両親から〈8・9〉について「あなたが生まれた喜びと、多くの命が失われた悲しみの入り交じった日」と教わった。仏教に帰依したのは医学生のころ。ちょうどベトナム戦争のさなかで、禅や瞑想(めいそう)といった東洋思想に興味を抱いた。
 34歳で得度。その後、小児科医として働く傍ら、同州に廃校を利用した曹洞宗の禅寺「大願寺」を開設、親から虐待を受けた子らのケアなどにあたった。2002年9月、広島の平和記念資料館を初めて訪問。犠牲者の多さ、原爆被害の悲惨さを目の当たりにし、周囲の日本人の顔を見るのがつらくなるほど、衝撃を受けた。(後略)
ソース:読売新聞2005年08月01日

石仏海を渡る 壬生寺
 真夏日の今日、米国オレゴン州にある寺院グレイト・ヴァウ・モネステリー(地藏山大願寺)住職ジャン・澄禅・ベイズさん一行35名は石仏の寄贈を受ける為、壬生寺保育園の園児に迎えられながら同寺に到着しました。
 壬生寺の松浦俊海貫主より寄贈される江戸時代の地蔵尊阿弥陀如来などの石仏108体は大願寺にある地蔵庭園の入り口に安置されます。また原爆の出来事を契機として仏門に入られたベイズさんは平和祈願のため原爆で亡くなられた人の数だけ地藏尊を日本に贈りたいという事を話されていました。
 ベイズさん一行は、この後、原爆犠牲者の慰霊に長崎と広島に訪れるそうです。
ソース:きょうのきょう2005年8月1日

アメリカからの「平和のための地蔵」プロジェクト概要
「折り紙地蔵の作り方」も載っています。折鶴よりも功徳あるかも。

サードゥ、サードゥ、サードゥ。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜