『ブッダ論理学五つの難問』がすごい!

ブッダ論理学五つの難問 (講談社選書メチエ)

ブッダ論理学五つの難問 (講談社選書メチエ)

「この本を書くにあたって心に決めたことがある。それは、わたしの見たままの真実を語ること、どんなに奇妙に見えても、それが真実であればおそれず語ることである。きっと知恵が灯火(ともしび)となって真理へ進む道を照らすだろう。だから、「真理」という言葉が人気がなくなって久しい現代において、この書は、今どきめずらしい「真理を希求する」本なのである。」(まえがき より)

十年に一冊の驚著(と言ってしまおう、この際)。ブッダは菩提樹下の成道ののち、自らを「一切を知る者(一切智者)」であると宣言しました。しかし、その所以については、これまでほとんど研究されてこなかった。多くの研究者は、自称仏教徒の研究者も含めて、「まぁ、あなたがそう言うんだから、そうかもね」といってブッダのことばを取り合わなかったウパカと同じ態度を取ってきたんですね。

インド論理学の研究者である著者はもともと仏教の専門家ではありません。ですから、最初っから「ブッダはなぜ一切智者と自称したのか?」とゆーことに関心を持っていたわけではないのです。

著者がずーっとひっかかっていたのは、自分の専門のニヤーヤ学派形成に関わる主要論敵としてマークしていた龍樹(ナーガルジュナ)の『方便心論』とゆー論書でした。わずかに漢訳のみが残され、これまでほとんど省みられてこなかった同書の読解に没頭するうち、著者は『方便心論』にブッダその人の教え(出典はアングッタラニカーヤ)から注意深く抽出された純粋な「ブッダ論理学」が織り込まれていることに気づいた。そして現代論理学・現代分析哲学の到達点と照らし合わせたとき、ブッダ論理学が恐ろしい高みにあることに気づかされ、驚愕したのです。

著者は不世出の仏教哲学者、龍樹菩薩が『方便心論』で用いた方法論の欠点ないし「失敗」にも気づき、それを乗り越える方法論を自覚的に選び取ったのです。ナーガルジュナの如く倫理という表から透かして「裏の論理」を見ることをせず、ブッダの発明した論理学を正面から問うという方法論です。曰く、「倫理として教えを開いたブッダのやり方にこだわらず、わたしたちの役に立つ論理学としてブッダの教説を開いてみよう」と。これは賞賛すべき勇気ある跳躍です。

さいしょ、論理学の素養がない人は最初はちょっとだけピンと来ないかもしれないけど、でも腹のすわった文体は読者をどんどん傾聴の構えに導いていくでしょう。序論から巻末まで気が抜けません。お釈迦さまの教えがこれほどまでに崇高な論理=倫理に貫かれていたとは…。ブッダ論理学のエッセンスを教えてもらいながら、僕は途中から、たまらず泣きました。

詳しくは本書に譲りますが、著者は「(初期仏典に)ブッダのことばは完全に保存されている」ことを、ブッダ論理学の根幹をなす経典の形式・文体の分析を通して明らかにしています。著者が獲得した知恵(論理)のまなざしによって、経典の成立順序や古層・新層をめぐる不毛な応酬を土俵ごとひっくり返してしまうかもしれません。本文は200ページ足らずですが、その衝撃度は恐ろしいほどの一冊です。

あと、スマナサーラ長老の講義を(妄想しないで)聴いている人なら「あ、長老があのとき仰ってたことってコレだったのか!」と何度もフラッシュバックして震えることでしょう。本書を読めば、自分がちゃんと法話を聞いていたかどうかもわかるかも???

追伸:著者のHP『マニカナ』もめちゃオモロいよ!

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜