如来の希奇未曾有法とは?

菩薩だったお釈迦さまは過去世でごっつい波羅蜜修行をして仏陀になったとされるのですが、その仏陀にしか出来ない希有にして未曾有の法とは何なのでしょうか?お釈迦さまご自身は以下のように仰っています。まず菩薩が最後の生を得るため母胎に入る時、母胎から出る時、悟りを得る時、そして法輪を転ずる(説法する)時、この世界の隅々に神々の威光をも超えた無量広大なる光が出現し、有情はその四つの出来事を知るのだと仰ります。そして…

128
1 比丘衆よ、如来・応供・正自覚者の出現により、四の希奇未曾有法は出現す。何をか四とす。
 比丘衆よ、有情は執着(アーラヤ 所執処・愛着)を愛楽し、執着をよろこび、執着を歓喜す。如来が無執着の法(アナーラヤダンマ 非所執処の法)を説くとき彼(有情)は進んで聴き、耳をそばだて、知らんとして心を喚び起こす。比丘衆よ、如来・応供・正自覚者の出現により、この第一の希奇未曾有法は出現す。
2 比丘衆よ、有情は慢(マーナ)を愛楽し、慢をよろこび、慢を歓喜す。如来が慢調伏の法(マーナヴィナヤダンマ)を説くとき彼(有情)は進んで聴き、耳をそばだて、知らんとして心を喚び起こす。比丘衆よ、如来・応供・正自覚者の出現により、この第二の希奇未曾有法は出現す。
3 比丘衆よ、有情は非寂静(アヌパサマ)を愛楽し、非寂静をよろこび、非寂静を歓喜す。如来が能寂静の法(ウパサミカダンマ)を説くとき彼(有情)は進んで聴き、耳をそばだて、知らんとして心を喚び起こす。比丘衆よ、如来・応供・正自覚者の出現により、この第三の希奇未曾有法は出現す。
4 比丘衆よ、有情は無明(アヴィッジャー)の中にあり、盲ひられ、普く纏はる。如来が無明調伏の法(アヴィッジャーヴィナヤダンマ)を説くとき、彼(有情)は進んで聴き、耳をそばだて、知らんとして心を喚起す。比丘衆よ、如来・応供・正自覚者の出現により、この第四の希奇未曾有法は出現す。
(増支部四集第三怖畏品八 南伝18巻231頁)

句読点と訳語、漢字は一部変更しました。前経(127)の神話的なエピソードとこの経典をひと繋がりとすれば、思わず「ニヤリ」となってしまいます。自分様は生まれながらに釈尊よりモノを知っていると思い込んでいる現代人には、なかなか気が付かないポイントが語られているとは言えないでしょうか。個人的にとても好きなお経のひとつです。

生きとし生けるものが幸せでありますように。