曽我逸郎さんへのメール(1)
曽我逸郎様
ご無沙汰しております、佐藤哲朗です。
久しぶりにサイトを拝見しました。ますます充実されているようで喜ばしい限りです。
僕も寺男3年目に突入して、仏教と猫にまみれる毎日です。以前、メールをやりとりさせていただいた箇所に「追記」がしてあったので拝読しましたが、ちょっと首を傾げてしまいました。
曽我さんがどんな私見を持っていても自由なんですが、「釈尊の言葉がシヴァカ長老という一弟子の言葉として伝えられるとは思えないから、シヴァカ長老の言葉が皆に気に入られ、広がって行くうちに、いつしか釈尊の言葉とされて法句経に取り入れられた」云々というのは、曽我さんの「好み」の表明ならばともかく、「正しい仏教」を確定するための仮説として勇み足ではないでしょうか?ポイントを二つ挙げてみます。
1)釈尊の言葉と酷似した言葉が、仏弟子の言葉として残っているのはホントに不自然ですか?
…私の体験から言うと、弟子の口ぶりが師匠に似るのは普通だと思います。また、弟子の言葉を師匠の言葉に仕立て上げちゃうことの方が、「師弟関係」の倫理観から言ったらよっぽど憚られるのではないでしょうか?(福沢諭吉を帝国主義者に仕立て上げた不肖の弟子だって、100年もしないうちに捏造がばれちゃったでしょ?)
追記に書かれたことが曽我さんの単なる思い込み以上のものだと他人を納得させるためには、パーリ経典全体にそのような例が稀有である、または釈尊の言葉と仏弟子の言葉がダブっていた場合は仏弟子の言葉のほうが古い、ということが説得力を持って語られないといけませんね。ひとつだけ、分かりやすい反証を挙げましょう。
無常の偈として超々々々々々々有名な
aniccaa vata saGkhaaraa
アニッチャー ワタ サンカーラー
もろもろのつくられた事物は、実に無常である。 (諸行無常)uppaadavaya dhammino
ウッパーダワヤ ダンミノー
生じ滅びる性質のものである。 (是生滅法)uppajjitvaa nirujjhanti
ウッパッジトゥワー ニルッジャンティ
それらは生じて滅びるからである。 (生滅滅已)tesaM vuupasamo sukho
テーサン ヴーパサモー スコー
それらの静まるのが安楽である。 (寂滅為楽)は、『長老偈』(theragaathaa テーラガーター)1159(スリランカ版1170 『仏弟子の告白』213ページ) と、大般涅槃経に出てきますけど、両方ともお釈迦さまの言葉じゃないですよ。目連尊者と帝釈天の偈になってます。こんな有名で愛されてる偈が、お釈迦さまの作になってないのは、曽我さんの仮説からいうとちょいとおかしいですねぇ。
2)ダンマパダの該当箇所が、長老偈の該当箇所より明らかに新しいという文献学的な証拠はありますか?
…これは僕も調べたことのない話なので、研究されている方がいるか分かりませんが、お互いに見つけたら報告することにしましょう。
いづれにせよ、自分の好みを「古いもの」「正しいもの」とみなしたがるのは、悟っていない限り付きまとう人間の弱点です。「自分は知っている」のではなく、あくまで真理を求めて仮説を組み立てているのだと考えているのであれば、
「シヴァカ長老よりも、二人の尼僧のほうが、無常=無我=縁起を正しく深く理解しているように思える。」というくだりは、「二人の尼僧の詩の方が、シヴァカ長老の詩よりも、いまの私の無常=無我=縁起理解にはしっくり来る」くらいにしておいた方がいいんじゃないでしょうか?曽我さんもいつか見解が変わるかもしれませんから。その時に「私は尊敬すべき人を過去に誹謗してしまった」という後悔が生じませんように。以下雑談です。
ちなみに、宮元啓一さんの『ブッダが考えたこと―これが最初の仏教だ』(春秋社)はお読みになりましたか。僕も全面的に賛同するわけでは勿論ありませんが、近代以降の日本の「仏教に惹かれるインテリ」が陥りがちな思考のフレーム・固定概念を相対化している、という点でなかなか興味深い内容になっていると思います。中村元さんの弟子にしては随分思い切って発言されてます。
また、印哲論文にアクセスできる環境にあるようでしたら、藤本晃さんの諸論文を読まれてみては如何でしょうか?まだINBUDSデータベースに入っていませんが、最近発表された「四沙門果説の成立と構造」「パーリ仏典に説かれる「九次第定」の成立と構造」「『仏説盂蘭盆経』の源流」などを読まれますと、けっこう頭の体操になると思います。
(一般向けに噛み砕いたものは、日本テーラワーダ仏教協会の機関誌『パティパダー』2004年12月号から順次掲載されています)少々値は張りますが、片山一良先生のパーリ仏典邦訳シリーズ(大蔵出版)も、中部・長部に続いて相応部の刊行が来年以降始まるようですし、南伝大蔵経もオンデマンド版で比較的安価に手に入ることですし(僕は増支部あたりから読んでいます。最高に面白いです)、先入見なしにいま一度データ集めのつもりで読んでみるのも面白いんじゃないでしょうか。
まぁ、そんなことよりカーラーマ経(南伝17巻303頁 PTS版AN-I,188p)を、曽我さんの好きそうな一行だけではなくて全部読んでみて、お釈迦さまの仰る教えの真偽のテスターのかけ方を実験してみれば、随分と時間節約できるかと存じます。お経はほんとに「正しく生きるための実践マニュアル(『ブッダの智慧で答えます 生き方編』A.スマナサーラ 創元社227p)」だと思います。
長くなりました。法について話し合うのは楽しいですね。
では、お幸せでありますように。
祈願衆生皆安楽
佐藤哲朗