自分という船を守る

Q:イラクで外国人を拉致して、他国政府への要求が聞き入れない場合は人質を殺害している。インターネットに人質の殺害される様子の映像を流している。自分が殺される立場だったらと思うととても恐ろしくなる。
なぜテロリスト達は宗教が違うからといった理由で見ず知らずの無罪の人を殺すのか?危険なイラクに行った本人が悪いのか?日本政府はどう対応するのがベストなのか?最近はそればかり考えます。(要約)

A:どんなに激しい嵐の荒波にいても、自分という船をしっかり守るならば、平和な気持ちで過ごすことができます。

自分自身で平和を生きる人だけが、他の人々に平和の素晴らしさを教えることができます。

海が荒れているからといって、悲観したり怒ったりして自分という船を守らないならば、たちまち汚れた嵐の海(怒り憎しみ貪欲と無知の海)に呑み込まれてしまいます。

だから、どんなひどい現実のなかにいても、自分自身を守りましょう。

…というのは、お釈迦さまの言葉を自分なりに噛み砕いてみた表現です。どうせ自分達程度の愚者の集団に過ぎない「政府」ではなく「自分がどうすべきか」ということを先に述べました。さて。

1)イスラム過激派の人々があんな残酷な行為をするのは、残酷に敵を殺すことで神様に誉めてもらえると思っているからです。信仰の敵とみなした人を何百人殺しても、天国に行けると信じているからです。

2)一見無謀な行動を取った人質青年はクリスチャンでした。苦しんでいる人々を何とか助けたいと思ったのかもしれない。そういう正しい動機を持った自分は、きっと神様に誉められる、何かあっても天国に行けると思ったかもしれない。この部分は推測です。でも彼が信仰を持ってなかったとしても、あのような「無謀さ」を冒しても自分の正しさを保証してくれる別の何かは信じていたのです。

3)日本政府の小泉さんが、事件発生後すぐに「自衛隊は撤退しない」と断言したのは、自分の親分であるアメリカ政府のブッシュさんに誉めてもらいたかったからです。たとえ自国民を見殺しにしても、ブッシュさんに誉められるように振るまえば日本は守られるはずだと信じているのです。

三者とも、信じるべきでないモノを信じて、間違った、不幸になる道を選んでしまったのです。1〜3まで程度はまるで違うにしろ、決して他人事でないということだけは覚えておきましょう。とてつもなく残酷なことをしでかすのは、ごくありふれた、人のこころの働きなのです。

〜*〜生きとし生けるものは幸せでありますように。〜*〜
(2004/11/04)参考:元スレッド