横浜朝日カルチャー講義「イラッとした時の5つの処方箋」(スマナサーラ長老の法話より)

今日は「イラっとした時の五つの処方箋」というタイトルでお話しします。

 

これは人間関係についての教えです。人間関係のトラブルは、誰にでもあることです。ないというなら、人間じゃないと思います。動物の中では人間関係のようなトラブルはない。人間だけに、この問題がある。これは難問です。勉強した方がいいのです。問題のない人間関係はありません。トラブルがないはずはないのです。だからこんな話を聞いても無駄なので、クリスマスパーティーでもやった方がいいですけど、……今日はケーキを用意してないんです。※この講演は12月に開かれた。 

 

お釈迦様も人間関係で問題があったんです。(コーサンビーの僧侶達が論争しサンガが内紛。釈尊の調停も聞きいれなかった。あきれた釈尊は誰にも言わずに出て行って森で三ヶ月、一人で暮らした。)釈尊は「問題なく生きたければ、一人で生活しなさい」と仰った。一人で暮らすことの安らぎを歌った詩もある。これは経典に記録されている大きな事件ですが、もっと細かいトラブルはたくさんあったのです。

 

独りで生活する独住は精神的に強い人の生き方です。人間は自分が弱いから他と暮らしている。それを忘れて、自我を張ってしまう。関係持っている他者にわがままを言う。当然、トラブルになる。我々には、そういう問題があるのです。我々は自分に弱点があるから他と暮らしてる。他が自分の弱点を補ってくれるのに、それを忘れて自我を張ってしまうということです。

 

お釈迦様は独住の安らぎを説きながら、人々の悩み苦しみを助けてあげるために社会に入った。性格が弱いからではないのです。社会の側から釈尊に条件をつけることは成り立たないことです。

 

人間関係のポイントをひとつ。「他人を正さない。説教しない」ということです。

 

子供であっても、正そうとしないでください。たとえ家族でも、人に説教しないでください。子供にはただ知らないことを教えてるんであって、「コラ何をやってるんだ!」と正そうとしないで下さい。他人に自分の理想を求めないことです。代わりに自分の心を戒めるのです。どうすれば自分が悩まないのかと、自分の心配をすればいい。夫婦喧嘩で自分が正しいと相手に認めさせるために何ヶ月も喧嘩するよりは、どうすれば苦しみを脱して自分が楽しくいられる方法を考えることです。自分が怒りで悩まないようにすることです。

 

今回ご紹介する経典は比丘たちへの教え。 イライラした気持ち、相手を許せない気持ちをどうやって無くすのか? 5項目を教えています。修行者は苛立ちがあるとまったく修行にならないのです。イライラは出家の命に関わる問題です。出家失格になってしまう。苛立ちを引きずって生きることは、仏教の学校に入学したが授業に一度も出ないで終わることと同じ。出家にとって苛立ちは致命的なのです。

 

では、イラッとした時の5つの処方箋を経典からご紹介します。

 

1 もし誰かにたいして苛立ちが生じたら、その人に慈しみmettā を実践する。friendship 仲間という気持ち を育てて欲しい。自分を措いて、相手を心配する気持ち育てること。

 

2‥‥憐れみの気持ち(悲 karuṇā )を育てる。瞑想として、相手の悩み苦しみが無くなるように、と念じることで心が変わるのです。

 

3‥‥upekkhā 捨の気持ちを育てる。生命は平等でそれぞれ別々であるという理解。他の生命の権利・人格を侵害しない。理性をもって、いつでも落ち着いて冷静でいること。何かトラブルがあっても、あいつが悪いと犯人探しして他人を直そうとしない。仏教では自分が落ち着いていることにする。それで苛立ちが消えるのです。家族の誰かが間違いをおかして、他の家族が苦しみを受けるのはおかしい。本人以外は冷静にいればいい。問題おこしている本人が「余所者」になりたくなければ自分を改めるしかない。そうでなければ、出ていくことです。在家はこれはなかなか難しい。出家は「大人の社会」だから、upekkhā 捨も成り立つんです。

 

4 ‥‥(苛立ちの対象の人の事に)気づかない、思考の対象にしない。考えないことにする。管轄外、相手のことに無関心でいる。「あ、いたの?」という感じで無視する。我々は相手の事を考え続けて苦しんでいるのです。無かったことにすれば、随分気持ちは楽です。相手の事を考えて腹立てるのは、毒針を呑んだのと同じこと。延々と苦しみ続けることになります。相手を正すのではないんです。自分が心の安らぎを得ることです。自分は別なことで集中するんです。出家は瞑想に集中すれば、綺麗さっぱり忘れられます。

 

5‥‥ 各生命は業を所有しているのだという法則を念じるのです。

これって、かなり難しいが決定的な効き目ある方法です。業は個人財産です。業は他人と共有はできない。「あの人の業で自分がこうなった」という事はできない。「他人の業で自分が不幸になった」ということは起こり得ない。個々の業は別々です。交差しないし共有できません。人とは業である。「人」と言っても、すべて業なんです。身体も思考パターンも業による。遺伝子の組み合わせも業が決める。行儀のいい家族の処に犯罪者が生まれることもあるし、逆もある。犯罪者の家系だなんて、言い加減な話でしかない。好き嫌いも性格も、ひっくるめてすべて「業」なんです。

だから他人の性格や態度や振る舞いが気に入らないと腹立てても仕方ない。業でそうなっているんだから、本人にはどうしようも無い。認めて面白がるしかない。食べ物の好き嫌いも業です。体にいいか悪いかで決めているわけではない。「自分」というものが存在しているわけではない。業とは機能 function です。行為と結果のかたまりです。悩む必要はない。それぞれの個人の業はそれぞれ違います。だから、無理に合わせようとせず、それぞれの世界で頑張ればいいんです。

他人に腹が立つこと自体成り立たない。放っておけばいいんです。このように観察します。「◯◯さんは業を所有しているんだ。業を相続しているんだ。業から生まれたんだ。業が親族です。業を拠り所にしてる。◯◯さんが行う行為の結果は、良いことも悪いことも、本人が受けるのです。」生命とは業そのものだと憶えておけば、けっこう楽に生きていられます。

 

サーリプッタ尊者の指導:人は色々です。

1.体の行為は悪いが喋る時は立派。

2.行為は良いが言葉は汚い。

3.行いも言葉も悪い。しかしたまに心を開く、たまに良い思考もする。

4.行いも言葉も悪い。たまにも心を開かない、たまにでも良い思考をしない。

5.行為も言葉も良い。心を開く、良い思考もする。

(譬え話 略)

‥‥これら5種類の人々に、いずれも怒ることが成り立たない。怒った人がバカなんです。自分を管理することです。人間関係=トラブルですが、幸福に生きるのはすべて自分次第です。自我中心の生き方を改めることで、人間関係は好転するのです。

(横浜朝日カルチャー講義「イラッとした時の5つの処方箋」2011年12月06日より)

 

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怒らない練習

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