慈しみの随念

慈しみの随念

 

私は、
怨みなく生きてゆこう。
怒りなく生きてゆこう。
悩みなく生きてゆこう。
心から楽しく生きてゆこう。

――こう私が願うように、
私の親しい人々・生命も、
身近にいる人々・生命も、
怨みなく生きてほしい。
怒りなく生きてほしい。
悩みなく生きてほしい。
心から楽しく生きてほしい。

これまで出会った人々・生命も、
まだ出会っていない人々・生命も、
怨みなく生きてほしい。
怒りなく生きてほしい。
悩みなく生きてほしい。
心から楽しく生きてほしい。

私の苦手な人々・生命も、
私の邪魔をする人々・生命も、
怨みなく生きてほしい。
怒りなく生きてほしい。
悩みなく生きてほしい。
心から楽しく生きてほしい。

あまねく全ての人々・生命が、
怨みなく生きてほしい。
怒りなく生きてほしい。
悩みなく生きてほしい。
心から楽しく生きてほしい。

誰もが自分を大切にして生きられますように。
すべての生命が善業に導かれ、
苦しみから解き放たれますように。

神霊たち、
人間たち、
祖霊たち、
動物たち、
地獄のものたち、
女性、
男性、
聖なるもの、
俗なるもの、
皆ことごとく、
怨みなく生きてほしい。
怒りなく生きてほしい。
悩みなく生きてほしい。
心から楽しく生きてほしい。

誰もが自分を大切にして生きられますように。
すべての生命が善業に導かれ、
苦しみから解き放たれますように。

地に棲まう生命、
水に棲まう生命、
空に棲まう生命、
虚空(こくう)に棲まう生命、
皆ことごとく、
怨みなく生きてほしい。
怒りなく生きてほしい。
悩みなく生きてほしい。
心から楽しく生きてほしい。

私の、
前に棲まう生命、
右に棲まう生命、
後ろに棲まう生命、
左に棲まう生命、
上空に棲まう生命、
地下に棲まう生命、
その他の方角に棲まう生命、
皆ことごとく、
怨みなく生きてほしい。
怒りなく生きてほしい。
悩みなく生きてほしい。
心から楽しく生きてほしい。

誰もが自分を大切にして生きられますように。
すべての生命が善業に導かれ、
苦しみから解き放たれますように。

動きまわる生命、
じっとしている生命、
長寿の生命、
短命の生命、
大きな生命、
小さな生命、
太った生命、
痩せた生命、
身体の長い生命、
身体の短い生命
微細な生命、
巨大な生命、
見ることのできる生命、
見ることのできない生命、
遠くにいる生命、
近くにいる生命、
すでに生まれた生命、
これから生まれる生命、
皆ことごとく、
怨みなく生きてほしい。
怒りなく生きてほしい。
悩みなく生きてほしい。
心から楽しく生きてほしい。

誰もが自分を大切にして生きられますように。
すべての生命が善業に導かれ、
苦しみから解き放たれますように。

生きとし生けるものが、
しあわせでありますように。
生きとし生けるものが、
しあわせでありますように。
生きとし生けるものが、
しあわせでありますように。

Sabbe sattā bhavantu sukhitattā
(サッベー サッター バワントゥ スキタッター)
一切衆生が真咲くあらんことを

パーリ語でつくられた慈しみの随念(慈悲の瞑想)の言葉を意訳して、日本語の文脈に移してわかりやすいように編集してみました。声に出しても、黙読でも、どちらでもよいので、対象を思い浮かべながら、ゆっくりとこの文章を唱えてみてください。終わったら、「この慈しみの随念(ずいねん)の功徳を先祖と一切衆生に回向(えこう)いたします。この功徳によって、生きとし生けるものが幸福に暮らせますように。そして涅槃に達せられますように。」と回向まですると、なおよいと思います。心の安らぎを経験できると思います。

「戦後70年の安倍首相談話」と戦後民主主義の前進

昨晩、安倍晋三首相の戦後七十年談話が発表された。www.asahi.com

一読して、また動画で談話全体を確認して、「それなりに練られた文章ではあるな」と思ったのは事実だ。少なくとも、スピーチライターの有能さは伝わってくる。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 の箇所を批判する向きもあるが、日露戦争の結果に被植民地アジアの知識人たちが熱狂したのは歴史的事実。拙著『大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史』でも触れている。ただ、日露戦争の勝利を下支えした日英同盟はアジアの独立運動を抑圧する方向で働いたので、幻滅に変わるのも時間の問題だったのだが。

日露戦争までを近代日本の栄光として、そこから先を混迷の歴史とする歴史観は40代以降の知識的大衆に共有されているので、そこをネチネチ批判してもマニアックな議論にしかならず筋が悪いだろう。

ただし、日露戦争に触れておいて、日韓併合の件は見事にスルーしてるのはいただけない。ここは隣国への礼儀として、一言あって欲しかったところだ。それ以外の箇所は、わりと評価します。安倍ちゃん……というか、彼に首輪をつけてここまで誘導した皆さんご苦労さまでした。

あ、あと一カ所、

寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 のくだりで、サンフランシスコ講和会議でのジャヤワルデナ発言を出してほしかったと、スリランカの皆さん歯噛みしとるでしょうな。本日、終戦記念日の式典では、天皇陛下

発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。……ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、

という戦後民主主義を言祝ぐようなお言葉を述べられたことと併せてみれば、(式典で安倍がアジア侵略に触れなかったとしても)平和国家日本の戦後民主主義は、安倍ファシスト政権の台頭をもってしても尚、決して後退ばかりはしていない。反動勢力と陣地の取り合いをしつつ、まだまだ前進し続けていると確信したのでありました。

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

 

安倍談話を聴いていたら、ふと自著を読み返したくなった。未読の方はこの機会にぜひ!

追伸:

追伸2:安倍首相の戦後70年談話への「反応」をめぐる問題については、社虫太郎先生の以下のツイートにぶら下がってるコメントを読んでいただくと、いろいろな問題点が浮き彫りになるのではないかと思います。

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~