塩崎雪生氏の書評


以前「天下の奇書」として取り上げさせていただいた『新国訳大蔵経 インド撰述部〈11〉諸経部(2)地蔵十輪経asin:4804380469』をものされた塩崎雪生氏から、拙著『大アジア思想活劇』に書評ならぬ「筆誅」を賜った。

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

馬鹿げた本『大アジア思想活劇』。
 昨秋であったか、南伝仏教に対するわが国での受容の事例を知るため佐藤哲朗『大アジア思想活劇』を通覧した。あきれた駄本で、南伝上座部宣揚どころかイカサマ師の行状リストに過ぎず、なんら当方の研究に資するところはなかった。かかる仏教趣味者の手合いの存在意義が当方にはさっぱりわからない。このような駄本の量産はなにゆえになされねばならないのか。真の教説を眼くらまし、愚劣なエピソードに終始することにより、罪悪の上塗りを重ね続けて、果たして何が楽しいのか。(以下略)

いやはや、手厳しいがけっこう図星のところもあるかな。「イカサマ師の行状リスト」「愚劣なエピソード」集というのは、見方によれば確かにその通りだからだ。しかし「田中(智学)にまで言及しておきながら石原莞爾に筆が及ばないのも痴愚の至り」という叱責には、ちょいと首を傾げてしまった。『アジ活』では話の流れからして、石原莞爾を登場させる必然性はないように思う。とまれ、「あきれた駄本」にも関わらず「通覧」していただけたのはありがたい。塩崎氏の次回作も期待しております。


↓参加ブログの皆さんが幸せでありますように……↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ

〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜

日本仏教を救った皇室出身の尼僧たち

定期購読している仏教系新聞『中外日報』2009年4月14日号「近代の肖像 危機を拓く」296回に、村雲日榮尼(1855-1920)が取り上げられていた。執筆者は歴史研究家の石川泰志氏。「皇室と仏教結ぶ絆/還俗の強要を敢然と拒否/宮中女性の仏教信仰に再び灯」として、廃仏毀釈の荒波に抗して日本仏教を守り抜いた皇室出身の尼僧の知られざる生涯を紹介している。さわりはこんな感じ。

 廃仏毀釈の嵐が皇室に押し寄せ、皇室と仏教の千年を超える絆が断ち切られようとした明治時代、仏門にあった皇族にも還俗を強要する動きが激化。男性皇族は一人残らず仏門を離れる中、敢然と還俗を拒否したのが伏見宮邦家親王の娘で出家していた女性皇族、誓圓尼(浄土宗善光寺大本願住職・一八二八〜一九一〇)、文秀女王(臨済宗妙心寺派円照寺門跡・一八三七〜一九二六)、日榮尼(日蓮宗村雲瑞龍寺門跡・一八五五〜一九二〇)である。
 善光寺を善光神社に改めようとする画策に、誓圓尼は「一度仏教に固く誓った身であるから、たとえ如何なる迫害を受けようともこの度の仰せには従い得ない。我が身は終生仏弟子として念仏弘通の為に捧げよう」と決意、善光寺存亡の危機を救った。
 文秀女王も実家に連れ戻されたものの、戒律を遵守し仏弟子として振る舞ったため、父邦家親王が不憫に思い円照寺へ戻ることを許した。
 日榮尼は明治元年当時まだ十一歳ながら還俗を迫る使者に「日榮は仏道に入りし以上は行雲流水の身となり樹下石上を宿とする共還俗はいたしませぬ」と断言、不惜身命の勇気で廃仏毀釈論者の目論見を一蹴した。
 三姉妹の仏法護持の勇気は、皇室の仏教祭祀廃止にもかかわらずなお皇室と仏教の精神的結びつきを維持する上で大きな力となった。

記事はその後の日榮尼の活躍を雄渾な筆致で顕彰していくのだが、私は猛烈に感動した。曲がりなりにも近代仏教史を研究してきた身だが、日榮尼の事績を一顧だにもしたことがなかった。近代の皇室と仏教との関係についても、釈雲照による宮中後七日御修法の再興くらいしか押さえていなかった。


おもえば日本で最初の仏教僧侶は、善信尼ら三人の尼僧だったのである。出家者の誕生をもって仏教伝来とするならば、日本仏教の祖は善信尼である。日本仏教は女性が始めたのである。そして廃仏毀釈という未曽有の危機にあたって、日本仏教の矜持を守ったのも、日榮尼ら皇室出身の三人の尼僧(三姉妹)だったのである。彼女らの足跡について、私はもっと知らなければならないと思った。『近代皇室と仏教』二の足を踏んでいたのだが、やっぱり買うしかないかなぁ……。拙著『大アジア思想活劇asin:4901679953』が三冊買える値段ではあるが。

近代皇室と仏教―国家と宗教と歴史 (明治百年史叢書) 石川 泰志

目次
第1部 釈雲照-近代皇室と仏教再興(釈雲照-廃仏毀釈に抗して
十善会の発足と活動
釈雲照と日露戦争 ほか)
第2部 村雲日榮尼-皇族出身尼僧の活躍(日榮尼と京都の廃仏毀釈
日榮尼-皇室と仏教を結ぶ絆
日榮尼-明治四十年代から大正期の活動 ほか)
第3部 近代の神道-その混迷と弾圧(近代に於ける平田国学の盛衰と弾圧
神社合祀-廃神毀社とその歴史的背景
神社合祀-廃神毀社・その終焉)

おりしも14日から、東京上野の東京芸術大学美術館で「尼門跡寺院の世界――皇女たちの信仰と御所文化」が開催されている。


↓参加ブログの皆さんが幸せでありますように……↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ

〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜

吉永進一先生ブログお年玉企画がすごい!

拙著『大アジア思想活劇』執筆と刊行にあたり多大なお世話になった吉永進一先生(舞鶴高専)のブログ電気的真丹後蝸牛報の「お年玉企画」記事がすごい!

アジ活の第一部、第二部あたりで概観したオルコット来日とその後の「白人仏教徒」と明治日本仏教とのかかわりについて、より精密な調査が惜しげもなく公開されている。これは素晴らしい、この上ない「お年玉」を狂喜乱舞(こころの中で)しながら読んでしまった。善哉。吉永先生の怒涛の「珍仏教」研究も、ぜひまとめて本にしていただきたいものだ。

エリアーデ宗教学の世界―新しいヒューマニズムへの希望

エリアーデ宗教学の世界―新しいヒューマニズムへの希望

天使辞典

天使辞典

ところで、吉永先生1月9日の記事で名前が挙げられている西尾秀生氏のお仕事は恥ずかしながらあまり注意していなかった。1993年5月には既に「南北仏教の統一: オルコットの目指したもの」渡辺文麿博士追悼記念論集:原始仏教と大乗仏教 上)という論文を執筆されているではないか……。ガーン。そして何と、

ヒンドゥー教と仏教の比較研究をしています。特にヒンドゥー教のクリシュナ神話と仏教の説話には興味をもっています。それから最近取り組んでいるのは、仏教復興運動で知られるH.S.オルコットの研究をまとめることです。(近畿大学大学院文芸学研究科教員紹介

とのこと。日本語でオルコット研究がまとめられるのはすごく楽しみだ。

ヒンドゥー教と仏教―比較宗教の視点から

ヒンドゥー教と仏教―比較宗教の視点から

宗教と実践―ダルマとヨーガによる解脱への道

宗教と実践―ダルマとヨーガによる解脱への道

オルコット大佐の知名度を上げるためにも『アジ活』にもうひと頑張り売れてもらわないといけないかなぁ。

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

↓ランキングが有難いことに……↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ

〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜

amazon.co.jpの良レビュー

ブックファースト新宿店(コクーン地下)の人文書レジ脇の島(歴史本コーナー)に拙著『大アジア思想活劇』がポップ付で平積みされていた。ありがたや。

amazon.co,jpには、トップ100レビュアーのソコツさんの長文レビューが載っていた。こちらもありがたや。

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

アジアがつくった近代仏教, 2008/12/4
By ソコツ

主に日本およびスリランカにおける「近代仏教」の形成過程を、広大なアジア世界を舞台として展開した様々な人的・思想的交流を通して鮮やかに描写する、スーパー力作評論である。近代仏教論では、西洋の学術・思想からの影響や、廃仏毀釈を間に挟んだ近世仏教からの移行に着目する議論がほとんどであったので、本書のような試みは極めて斬新かつ刺激的でおもしろい。
1873年のスリランカにおける著名な仏教vsキリスト教問答(「パーナドゥーラ論争」)を大きな契機として、「神智学」の宣教者、オルコット大佐+ブラヴァツキー婦人が東洋の神秘哲学たる「仏教」の素晴らしさに開眼する。この西洋人による「仏教」の再評価の動きは、一方では日本における仏教リバイバル運動を後押しし、他方ではダルマパーラによるスリランカの仏教ナショナリズム運動の勃興へとつながっていく。しかも、この二方向の運動は、「仏教」をともに奉じる傑物たちのしばしば誤解をともなう相互交渉により、互いを育てあってきたのであった。
軸となるのは、野口復堂という異能の講談師(その魅力は本書において初めて鮮明になった)の南アジアにおける大活躍、復堂にも感化されるかたちで日本に新しい「仏教」の旋風を巻き起こしにやってきたオルコット、そしてダルマパーラが「ランカーの獅子」としての自己形成を遂げやがて闘う仏教者となっていく様子、特に彼の日本とその仏教に対する過剰なまでの思い入れの実情、の三つである。
これに平井金三、釈興然、河口慧海鈴木大拙田中智学をはじめとする近代日本仏教史のキーパーソンの歩みが絡み合い、また所々で歴史や宗教に関する著者の脱線的だが興味深いお話が混ざりつつ、本書は独特の近代アジア(日本)史像を構築することに成功している。やや長すぎるので読者を敬遠させてしまう気がするのはもったいないが、これだけ発見に満ちた仏教史の書物はなかなか無いので、以上に挙げてきた人物に関心のある向き、のみならず近代史のお好きな方は是非一読してみることを大推薦する。(amazon.co.jpカスタマーレビュー


MALCOLM X: THE HOUSE NEGRO AND THE FIELD NEGRO

にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ

〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜

中外日報に末木文美士先生の書評掲載

スマナサーラ長老の初期仏教月例講演会『ブッダの侍者の「8大特典」と「4つの不思議」−「善友」阿難尊者の「如是我聞」』司会とプロジェクタ助手をしつつ聴講。アーナンダ尊者にまつわる深いお話。社会で仕事をするにあたっての心構えについて語られた冒頭の法話を聞いて、心が軽くなった人も多いのではないか。また、大般涅槃経を読んで、誰もがわだかまりを感じたであろうエピソードについても詳しい解説があった。詳細は後日アップされるであろうhohiさんのレポートに譲ります。

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

仏教系の業界紙中外日報』(中外日報社)11月27日号「中外図書室」に拙著『大アジア思想活劇』の書評が掲載された。評者は東京大学教授の末木文美士先生。


『大アジア思想活劇 仏教が結んだもうひとつの近代史』佐藤哲朗

書評 東京大学教授 末木文美士

近代思想史研究のミッシングリンク
根底に位置する仏教
巧みな「教談」で一世風靡の野口復堂通し活劇風に描く


(前略)日本の近代仏教の研究は、先駆的ないくつかの成果を除けば、ごく最近ようやく本格的に手が付けられるようになったばかりである。それも教団内やアカデミズムのでの研究は、ともすればいわゆる「近代的」な明るい側面か、または国家主義・軍国主義との結びつきの暗い側面が、ステレオタイプ化して取り上げられがちである。
 だが、それでは本当の近代の姿は隠れてしまう。もっとどろどろとした複雑な要因が絡み合い、一見非合理で奇怪な思想が大きな運動に結実していく。それが表面のきれい事の背後で、深い次元で近代を動かしているのである。
 一般の日本近代思想史でも、近年になって初めて超古代史や超心理学などの異端の世界に光が当てられるようになり、また、中島岳志の研究などによって南アジア世界との関係の重要性が認識されるようになっている。しかし、それらの諸動向はばらばらのものではなく、もっと統合的に捉えられなければならない。
 あえて言えば、そのミッシングリンクとも言うべき根底に位置するのが仏教ではなかったか。私は以前からそのような予測を持っていたが、本書はそれを確信させてくれるだけの豊富な内容に満ちている。その情報量だけでも膨大なものがあり、それらが前後錯綜しながら、あたかも曼荼羅のように展開していく。(後略)

サンガHPにて全文(PDF)が読める


書写して目頭が熱くなってきた。
僕がアジ活をまとめようと思ったきっかけのひとつは、末木先生の『日本仏教史―思想史としてのアプローチ』(新潮文庫)との出会いだった。同書ではあえて触れられていなかった近代仏教思想について、何かしら自分の調べたことが何か寄与できるのではないかという、身の程知らずの思いがあったのだ。

日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

末木先生はその後、『近代日本の思想・再考』(トランスビュー)二部作で日本近代仏教史・近代仏教思想史研究の新たな扉を開けたが、アジ活が出版できたことも、末木先生が牽引するささやかだが確実な「近代仏教研究ブーム」の余慶によると言えるだろう。

明治思想家論 (近代日本の思想・再考)

明治思想家論 (近代日本の思想・再考)

近代日本と仏教 (近代日本の思想・再考)

近代日本と仏教 (近代日本の思想・再考)

そんなわけで何というか、勝手に学恩を感じている先生から書評を賜ったことはとてもうれしい。
このご恩を忘れることなく、これからも精進していきたいと思う。

ちなみに同書評が掲載された『中外日報』11月27日号の社説も、なにげに末木先生の文章と呼応しているような……

時代の流れを巨視的に見れば、確かにアジアは仏教においても、地域の伝統・個性は保ちつつ、ひそかに一体化しつつあると言ってよいのではないか。そして、こうした動きの中で平和への熱い呼び掛け、人権侵害への抗議など積極的な協力が少しずつ輪を広げて展開されてゆくとすれば、たとえ一つ一つのアピールは弱いように見えても、やがてそれは人類社会の全体を動かす力ともなり得るだろう――そう期待したいのである。

解説:舎利禮文 2008-11-26 uumin3の日記

にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ

〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜

読売書評Web掲載

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

拙著『大アジア思想活劇』(サンガ)の書評がYOMIURI ONLINE本よみうり堂に転載された。

〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜

環太平洋の物語

帰りがけに新宿の書店に寄ったら、紀伊国屋書店本店やジュンク堂で『大アジア思想活劇』が平積み(仏教書コーナーだけど)されていた。相変わらずスマナサーラ長老の本もたくさん置いてあって、仏教書を探しに行っても目に入るのは知っている本ばかり……というのはある意味すごい。

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

夕方にamazon.co.jpを見たら、『大アジア思想活劇』が1300位台まで上がっていた。22時13分現在1,607位。

書店でふと思ったことだが、『テロと救済の原理主義』 (新潮選書)でオンブック版のアジ活を大きく取り上げてくれた小川忠氏にせよ、今回読売で書評を書いてくれた佐藤卓己氏にせよ、けっこう「日米関係」とゆーフレームをこれからどうしていけばいいのか?という問題意識を持っている識者のような気がする。

大アジア思想活劇は、「アジア」と言いながらも重要なプレーヤーとして登場するのはアメリカ人仏教徒のオルコット大佐だったりするので、実際には「環太平洋の物語」なんだよね。1893年のシカゴ万国宗教大会は大きな山場だし、ダルマパーラの活動をほぼ唯一の大パトロンとして支えたフォスター夫人も、滅びゆくハワイ王家の女性だったわけだし。その辺もまた、これから勉強。

テロと救済の原理主義 (新潮選書)

テロと救済の原理主義 (新潮選書)

輿論と世論―日本的民意の系譜学 (新潮選書)

輿論と世論―日本的民意の系譜学 (新潮選書)

〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜