読売新聞に書評掲載

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

読売新聞2008年11月2日(日)読書欄「本よみうり堂」に拙著『大アジア思想活劇 仏教が結んだもうひとつの近代史』(サンガ)の書評が掲載された。評者はメディア社会学者の佐藤卓己氏。いい人に書いてもらったなぁ、と思う。

 新幹線で広島駅を通過するとき、仏舎利塔(正式名称は「二葉山平和塔」)が目に入る。少年時代、あの麓(ふもと)を駆け回っていた私でさえ、なぜスリランカから仏陀の骨が寄進されたのか、その来歴に無頓着だった。しかし、その理由を本書で知ってしまった今、あの塔は何とまぶしく、そして哀(かな)しく見えることだろう。(後略)

という書き出し。まだYOMIURI ONLINEには載っていないが、じきに更新されると思うので、チェックしてほしい。家内からは、「これであなたもナベツネ・ファミリーの一員ね」と言われた。

追伸

22:30現在amazon.co.jpで2500位に上昇。ちょいとびっくり。

〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜

佛教タイムス

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

佛教タイムス』10月23,30日合併号「秋の読書特集」にて、拙著『大アジア思想活劇』(サンガ)の書評が掲載された。新聞書評としては最初のもの。わーい。


(前略)本書の特質は、近代アジアの仏教復興に視点を置いていることだ。西欧経由の仏教あるいは仏教学ではない。さらにアジア仏教復興に日本人の力が少なからずあったことを論証していもいる。(中略)戦後の交流にも言及。オルコットやダルマパーラが唱えていた「仏教世界の連合」が戦後、スリランカで世界仏教徒連盟(WFB)として結実。その2年後に日本で第2回大会が開かれた(昭和27年)。「19世紀後半から南アジアを震源に展開していった仏教復興運動のひとつの到達点」。著者はそう解説する。

同じ号には上述『ライバルのいない世界』(国書刊行会)書評も載っている。誓教寺(山口県)と宝泉寺(京都)というスマナサーラ長老と縁の深い伝統仏教寺院の方々が、この企画にかかわっている点にしっかり触れているあたり、業界紙の面目躍如といったところか。

読売に書評が載るらしい

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

拙著『大アジア思想活劇』書評が読売新聞に載るらしい。

「▼次回のラインナップ」に名前が出ている。誰が書いてくれるのだろうか。楽しみ。

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佐々井秀嶺伝『破天』が新書化!

五千万人とも一億五千万人とも言われるインド新仏教徒の指導者、佐々井秀嶺師(Bhadant-G Arya Nagarjuna Shurai Sasai)の半生を描いた怒涛のノンフィクション作品『破天』(山際素男著)がついに光文社から新書化された。

破天 (光文社新書)

破天 (光文社新書)

宮崎哲弥が巻頭に短評を寄稿している。少々、自説に引き寄せすぎという気もしないではないが、

アジアの未来を展望する上で、最重要の
超大国であるインドの有力な宗教指導者が
日本人であることの意義に、
一人でも多くの人が気づいてほしい。

という帯の言葉には激しく同意する。二段組みで600頁近い大作。山際氏の作品を多く出版している光文社新書からとは言え、この出版は快挙と言っていいだろう。以前書いた、南風社版の『破天』(あっという間に絶版になった……)書評を以下に引用したい。

よみがえるインド仏教

 インドは仏教発祥の地として知られる。しかし歴史の転変を経てインド仏教は滅亡し、長らく「過去の存在」でしかなかった。そう、ついこの前までは…。

 人口10億を数えるインドにあって、80年代初頭まで仏教徒は1%に満たなかった。しかし現在では少なくとも5千万人、一説には1億5千万人もの仏教徒がインドにいるとされる。事実ならば、インドの仏教徒は人口の10%を超え、イスラームにも匹敵する大勢力だ。(現在、政治的配慮からインドの宗教人口統計は不明)

 宗教紛争が激化する現代社会では、かえって諸宗教の勢力図は固定している。インドにおける仏教徒の激増は、地球上を見渡しても極めて特異な現象だ。そしてこの歴史的大事件の渦中に、佐々井秀嶺という日本出身の僧侶(現在インド国籍)がいる。

 本書は長年にわたり佐々井師の身近でインド仏教復興運動を取材した著者が、佐々井師の破天荒な半生を描いた伝記だ。昭和10(1935)年、岡山の山村に生まれた佐々井師は16歳で上京し、紆余曲折ののち高尾山薬王院真言宗)で得度。生来の負けん気で激しい修行に明け暮れる一方、自らの「色情因縁」に煩悶して自殺の誘惑に駆られ、街頭の易者として人気を博し、新進の浪曲師としても名をあげる、とにかく振幅の激しい生を歩んだ。

 昭和40(1965)年、ひょんなことからタイ留学し、二年後インドへ渡った佐々井師は、かの地でインド新仏教徒(ネオブディスト)との運命的な出会いを果たす。彼らは、カースト制の底辺にあって差別と迫害を受けつづけた不可触民(アウト・カースト)であり、同階層出身のカリスマ的政治家アンベードカル(1891-1956 独立インドの初代法務大臣としてインド憲法を起草)の呼びかけで仏教に改宗した人々であった。

 新しいリーダーとの出会いは、停滞していたインド新仏教を俄然活気づかせる。釈迦成道の聖地ブッダガヤの返還運動、政府も手を出せなかった盗賊集団(ダコイット)の仏教改宗などを通じて、佐々井師はカースト・宗教による分断と相互不信に貫かれたインド底辺社会を、大衆演芸じみた義侠心によって突破していった。

 しかしそんな渦中にあっても、佐々井氏自身は相変わらず性欲に悩み、無茶な荒行で自らを傷つけ追い詰める不器用な求道者のままなのだ。真言宗で出家した身でありながら、南無妙法蓮華経の題目を唱え、請われればパーリ語のお経を唱える。必要とあらば、村人に取り憑いた悪霊とも取っ組み合いの喧嘩をする。そんな彼の周囲には、いつしか衆生平等を説く仏教という信仰(もとい生き方)を選び取った膨大なインド民衆が渦巻いていたのである。

 稀代の荒法師がインド亜大陸のダークサイドに足を踏み入れ、そこから民衆の仏性とでも形容すべき「精神の光」をつかみ出す過程は、心の震えなしには読めない。極東の快男子によって、新たに開幕したインド仏教復興活劇が、逆にこの日本を揺るがすに至る日も、そう遠くはないはずだ。

2001-04-19 / 佐藤哲朗khipu への投稿

佐々井師の活動を活写した最近の書籍としては、昨年末に出た『男一代菩薩道―インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺』(小林三旅)がある。2004年12月28日に放映された同名のテレビドキュメンタリー番組(フジテレビ系列NONFIX)ディレクターとして単身インド取材を敢行した著者(1972年生)が、約一ヶ月の取材記録に追加取材を加えて書き上げたノンフィクション作品。

男一代菩薩道―インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺

男一代菩薩道―インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺

不可触民出身にしてインド初代法務大臣までのぼりつめ、インド憲法を起草して、インドに合理主義的解釈に基づく新しい仏教を創出したアンベードカルの伝記、『アンベードカルの生涯』(ダナンジャイ・キール光文社新書)

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

アンベードカルが最晩年に、その合理主義的な仏教解釈を全面的に展開した主著『ブッダとそのダンマ』も必読書だ。筆者は大学一年生の時に読んで、けっこう衝撃を受けた。光文社新書から出ている。佐々井師がハイテンションで独特のグルーヴ感のある面白い原稿を寄せているので、そちらもぜひ読んで欲しい。

ブッダとそのダンマ (光文社新書)

ブッダとそのダンマ (光文社新書)

そして、佐々井師の成し遂げつつあるインド仏教復興とブッダガヤ大菩提寺の奪還というビジョンを最初に描き、その実現のために生涯をかけたのが、拙著『大アジア思想活劇』の主人公たる、アナガーリカ・ダルマパーラなのである。決して手前味噌ではなく、『大アジア思想活劇』を読むことで、佐々井師の荒法師ぶりの意義がより深く理解できるはずだ。

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

『大アジア思想活劇』『アンベードカルの生涯』『破天』を通して読むとき、そしてそこから現代日本におけるスマナサーラ長老の活躍にまで思いをはせる時、仏教という世界宗教を中心に据えたアジア近現代史のパースペクティブ(眺望)が虚空より現前して、まじで鼻血が出そうになるのである。

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星飛雄馬さんのお言葉

宝泉寺合宿から帰東。お世話になった皆様に感謝。京都府与謝野町にある宝泉寺は若き日の澤木興道師も修行した曹洞宗寺院。新築された本堂には金色の釈尊坐像が安置され「お釈迦様の道場」として輝きをいよいよ増していた。


……で撮った写真が、お昼にいただいたお食事。仏旗の小旗があまり可愛かったもので……。

法友の星飛雄馬さん(著述家・翻訳家)が御自身のブログとamazonカスタマーレビューで拙著『大アジア思想活劇』を紹介してくださった。

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

私たちが、日々学び、また物語として楽しむこともある「歴史」。

とても馴染み深いものですが、一口に歴史と言っても様々なものがあります。

権力者や国家によって語られることが多い「正史」に対し、公認されていない民間の歴史を指して「稗史」といいます。

本書では、日本の近代史の中で、国家や権威ある学問的機関、宗教組織などによって語られることの少なかった異能の人々が縦横無尽に活躍します。

平井金三、野口復堂、釈興然といった正史ではメジャーではない人々たちの活躍するさまは、さながら物語のようでもあり、読者は「明治時代には、こんなにも自由に人生を謳歌した日本人がおったんか!」と驚くことうけあいです。

ワーキングプア、過労死、パワハラをはじめとした職場いじめなどで、疲弊しきった日本のビジネスマンは何はなくとも本書を紐解くべきでしょう。

そこには、うつむきがちで暗い現代人と異なる、破天荒な人間の生き様があります。

本書は、彼ら素晴らしい明治人の活躍に留まらず、近代スリランカ仏教を語る上で欠かせない人物アナガーリカ・ダルマパーラに焦点をあてます。

百年前にスリランカから海をはるばる渡って来日したダルマパーラの目に映ったものは何だったのか。

ぜひ、本書を読んでお確かめください。

稗史」の傑作といえる本書、スリランカ仏教を学ぶかたには特にお勧めの1冊といえるでしょう。

稗史」の傑作というのは、何より嬉しい評だ。星飛雄馬さんの著書・訳書は以下の通り。もうすぐ単著も刊行されるらしい。

Present Moment,Wonderful Moment―この瞬間がすべての幸福

Present Moment,Wonderful Moment―この瞬間がすべての幸福

ベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハン師による気づきの瞑想詩集。

図説ブッダの道―偉大なる覚者の足跡とインド仏教の原風景 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica エソテリ)

図説ブッダの道―偉大なる覚者の足跡とインド仏教の原風景 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica エソテリ)

私も一緒に仕事させていただいた本。

観音巡礼の本―西国三十三所 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica エソテリ)

観音巡礼の本―西国三十三所 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica エソテリ)

最新のお仕事。

〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜

大谷栄一先生のお言葉

宗教社会学者の大谷栄一先生よりご自身のブログ上でサンガ版『大アジア思想活劇』へのコメントをいただいた。ありがたや。

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

 先日、佐藤哲朗氏から、労作『大アジア思想活劇─仏教が結んだ、もうひとつの近代史』(サンガ、2008年)をご恵贈いただいた。真の意味で労作と呼ぶにふさわしい著作である。
 佐藤氏は、日本テーラワーダ仏教協会の事務局長で、アルボムッレ・スマナサーラ長老の書籍編集等で活躍されている方。
 じつは、以前、佐藤氏には拙著を書評していただいたことがあり、また、佐藤氏にお世話になり、非常勤先の学生と一緒に、日本テーラワーダ仏教協会を見学させていただいたこともある。つまり、前々からの知り合いだが、佐藤氏を知ったきっかけは、じつは、この『大アジア思想活劇』である。
 どういうことかというと、『大アジア思想活劇』は、当初、1999〜2001年にかけてメールマガジンとして配信され、サイト上に『@BODDO大アジア思想活劇』として掲載されたテキストが、2006年にオンデマンド出版の書籍として刊行された。今回、そのオンデマンド版が増補改訂された上で刊行されたわけである。僕は、サイト上で、『アジ活』を知ったのである。
 オンデマンド版では入手しにくかったと思うが、今回は書店に並ぶので手に入れやすいと思う。
(中略)
 とにかく圧倒的な情報量と読み応え、面白さなので、一読をお薦めしたい。近代仏教に興味のある人に(むしろ興味のない人にこそ)読んで欲しい一冊である。

大谷先生の出世作にして近代仏教研究の金字塔として輝く『近代日本の日蓮主義運動』(法蔵館)は人文書読みの必読書。

近代日本の日蓮主義運動

近代日本の日蓮主義運動

読後、感激のあまり火を噴きそうになりながら書いた書評を転載しておく。

乱世を席巻した“太陽のドグマ”


西暦2002年は日蓮宗の立教開宗750年にあたり、日蓮に関する出版物が数多く出版されている。いま日蓮が熱い。その熱源にもっとも肉薄する研究書が出た。


近代日本の仏教諸派のなかで、一貫して先鋭的な存在でありつづけたかに見える日蓮系教団。しかし明治維新後の廃仏毀釈をたくみな政治力で克服し、明治の後期まで日本仏教の地位確立に尽力したのは京都両本願寺を拠点とする浄土真宗であり、日蓮系教団は当初まったく振るわなかった。


ところが明治後期から大正、昭和初期にかけて沸き起こった“日蓮主義”運動を通じて、日蓮の思想は近代日本の国家政策を規定するまでの強い影響力を発揮するようになる。鎌倉時代からの長い伝統を誇る日蓮系教団の底力は、「立教開宗」600年以上を経て爆発した。


この運動を指揮し“日蓮主義”のイデオローグとして活躍したのは在家仏教教団・国柱会の創始者である田中智学(1861-1939)と、日蓮系の顕本法華宗管長をつとめた本多日生(1867-1931)である。本書はこの二人が「宗教運動を立ち上げた1880年代(明治中期)から、ピークを迎えた1920年代(昭和初期)までの50年間の日本社会の激動のなかで、ふたりがどのような言説によって人びとをひきつけ、どのような活動を通じて運動を組織していったのか」詳細に検証した労作だ。 


近代日本という未曾有の“乱世”に、「歴史への応答」として展開された日蓮主義運動の壮大な軌跡を説くことは本書にゆずるが、取り上げられる二人のうち、特に注目すべきは田中智学だろう。


彼は1880年代(明治中期)より在家信徒による日蓮主義運動を展開し、「立正安国会」(のちの国柱会)を設立、印刷メディアや幻灯上映を用いた積極的な教化運動を繰り広げた。智学は日本仏教が在家仏教として進む道を理論的に意義づけ、近代という時代と果敢に格闘しながら“生きた仏教”のあり方を創出・実践した。


近代日本の“宗教改革者”として、恒に世間を賑わせた智学の生涯を貫く一本の柱は、日蓮遺文を精読した結果到達した「国体思想」である。彼は「日本国体」の発顕を通じて日蓮主義を世界に及ぼすビジョンを説いた。仏教の厭世的なイメージを払拭し、マルクス主義にも対抗し得る世界的視野と実践理論を兼ね備えた智学の“太陽のドグマ”は、当時の憂国青年たちに熱狂的に受け入れられ、後の右翼革命運動にも強い思想的影響を及ぼす。満州事変を引き起こす石原莞爾血盟団の井上日昭、ユートピア文学者の宮沢賢治も智学の薫陶を受けた人脈に連なっている。


智学は『日本国体の研究』のなかでこう叫ぶ。「法華経を形とした国としての日本と、日本を精神化した法華経と、この法国の冥合といふことが、世界の壮観として、世界文明の最殿者として、日本国体を開顕すべく日蓮主義は世に出た、日本でなくてはならぬ法華経! 法華経でなければならぬ日本!…」


また、戦前から戦時中にかけて連呼された“八紘一宇”のスローガンも、国体思想の文脈で智学が提唱した成語であった。著者の曰く、「智学にとって、日本とは「建国の主義」をもった「道の国」であった。」(p256)そして智学の思想は決して現在のわれわれ日本人と隔絶しているわけではない。


長いあいだ日本は「顔のない国」といわれ、理念や理想とは無縁の国として自己規定されてきた。だがかつて日本を「道の国」と位置付け、その国体に体現された理想を全世界へ推し拡げようとした時代があった。その結末を知り恐怖するがゆえに、われわれは、「昔から顔の無かった自分」「理念や理想とは無縁に生きてきた自分」という自画像を捏造したに過ぎないのだ。

2002-09-21 / 佐藤哲朗(出典:khipu

未読の方はぜひこの機会に読んでみてほしい。

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藤本晃先生のお言葉

10月2日は朝日カルチャー初期仏教入門新シリーズ『「ストレス」と「心の呪縛」』第一回。
10月3日から6日まで佐賀・福岡・大分と九州三県でのスマナサーラ長老講演・冥想指導に同行。
講演会の内容は順次Dhammacastで配信したい。


臼杵石仏群を見学中のスマナサーラ長老。

帰ってからは溜まっていた仕事の明け暮れ。

拙著『大アジア思想活劇』をお読み下さった藤本晃(慈照)先生より、以下のような有難いお言葉を賜った。
謹んで引用させていただきます。

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

 ざっと見ただけで、驚いています。情報量だけでも圧倒的なものなのに、『活劇』とタイトルにするだけあって、単なる資料集なんかにせず、膨大な量と
範囲の資料を一つのステージに据えて、様々な登場人物を時間軸に沿って生き生きと演じさせています。
 著者(演出家)の視点が「仏教」からぶれないから、仏教のために生きてきた登場人物たちの息吹きを、見事に蘇らせているのだと思います。客観的な語り口なのに、いや、それだからこそ?ご自分の熱い思いをも冷静に伝えています。
 読者は、あたかも壮大な仏教ドラマを目の当たりにする観客のように、ただ、見惚れることになるでしょう。文章力のおかげでもあるでしょう、見事に、読ませる読み物にしています。
 本書に出ているトピック一つ一つについての書物をいくつか読んだことはありますが、本書はそれらの総合版のようなものではまったくありません。詳細な注や参考文献録や索引も含めて資料として完璧な百科全書の役割さえも果たしているのですが、百、千のトピックを集めて、ただ百、千頁の書物にしたのではなく、一つ次元を突き抜けた、生き生きとした仏教書(仏教徒書?)にしています。驚きです。
 最後の、広島に仏舎利の話一つでも、隣県に住む者として、さびしいやら、広島の因縁を感じるやら、正直な話、涙せずにはいられません・・・

以下、藤本先生の単著一覧。

悟りの階梯―テーラワーダ仏教が明かす悟りの構造

悟りの階梯―テーラワーダ仏教が明かす悟りの構造

死者たちの物語―『餓鬼事経』和訳と解説

死者たちの物語―『餓鬼事経』和訳と解説

お布施ってなに?―経典に学ぶお布施の話

お布施ってなに?―経典に学ぶお布施の話

功徳はなぜ廻向できるの?―先祖供養・施餓鬼・お盆・彼岸の真意

功徳はなぜ廻向できるの?―先祖供養・施餓鬼・お盆・彼岸の真意

〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜