『大アジア思想活劇』電書版あとがき(近代仏教史研究ブックガイド&関連論文ガイド)

2017年4月に刊行された大アジア思想活劇――仏教が結んだ、もうひとつの近代史 Kindle版の電書版目次です。noteに載せようと思ったんだけど、こういう書誌データ盛りだくさんのものはやっぱブログですね。2008年~2017年初頭の約10年に刊行された近代仏教史研究ブックガイド&関連論文ガイドみたいな内容になってるので、そのような活用法もしていただければ幸い。以下、全文です。

 電書版あとがき

本書は二〇〇八年九月刊行の単行本『大アジア思想活劇 仏教が結んだ、もうひとつの近代史』(サンガ)に一部加筆修正を加えた電子書籍である。

刊行から八年、単行本の素材となったメールマガジン配信から数えるとすでに十数年が経過しており、資料的価値という点ではいささか不安が残る。そこで電書版あとがきでは、本書が扱った近代仏教に関する最近の出版動向を把握している範囲で紹介し、内容の不備を少しでも補完したいと思う。

振り返ると、今世紀初頭までは近代の仏教をテーマにした出版自体が希少だった。いまでは往時とは比べ物にならないほど「近代仏教研究」が盛り上がっている。その勢いを全体的に見通すことのできる一冊といえば、大谷栄一、吉永進一、近藤俊太郎・編『近代仏教スタディーズ 仏教からみたもうひとつの近代』法蔵館、二〇一六)が挙げられるだろう。執筆者は実に二十九人。本書で詳述したダルマパーラ、オルコットら海外仏教徒との交流史を包む、近代仏教の広大な沃野を一望するパノラマ絵巻のような楽しい本だ。

近代仏教スタディーズ: 仏教からみたもうひとつの近代

近代仏教スタディーズ: 仏教からみたもうひとつの近代

 

併せて、末木文美士・ 林淳・吉永進一・大谷栄一・編ブッダの変貌 交錯する近代仏教 (日文研叢書) 』法蔵館、二〇一四。同書の母胎となった研究報告書、末木文美士・編『近代と仏教』国際日本文化研究センター、二〇一二はインターネットで閲覧可能)も推したい。海外研究者の翻訳記事を含み、全地球的な視野で近代仏教に迫ったアンソロジーである。

ブッダの変貌―交錯する近代仏教 (日文研叢書)

ブッダの変貌―交錯する近代仏教 (日文研叢書)

 

仏教史の初学者向けに編纂された『仏教史研究ハンドブック』法蔵館、二〇一七)でも、日本仏教編では全四章構成のうち第四章がまるまる「日本近代」に割かれている。古代・中世・近世・近代とほぼ均等のボリュームで、筆者が学生時代に日本仏教史といえば近世・近代は付け足し程度だったことを考えると大変な変わりようだ。

仏教史研究ハンドブック

仏教史研究ハンドブック

 

『近代国家と仏教(新アジア仏教史14日本Ⅳ)』佼成出版社、二〇一一)の版元コメントに「かつて圧倒的な厚みを誇った鎌倉仏教研究に変わり、今一番ホットな仏教研究分野である近代仏教」と書かれていた時は驚いたが、昨今の出版ラッシュを見るとそれも過言ではないかもしれない。

近代国家と仏教 (新アジア仏教史14日本?)

近代国家と仏教 (新アジア仏教史14日本?)

 

 単著では、碧海寿広『入門 近代仏教思想』ちくま新書、二〇一六)では、真宗大谷派の系譜に属する仏教系知識人の足跡を通じて近代日本仏教の変容を「仏教の教養化の展開」として描いている。後味の悪さ(ほとんどは暁烏敏の言行に起因する)含めて、近代仏教を学ぶ入り口にもってこいの一冊と思う。

入門 近代仏教思想 (ちくま新書)

入門 近代仏教思想 (ちくま新書)

 

 一方、大谷栄一『近代仏教という視座 戦争・アジア・社会主義ぺりかん社、二〇一二)は田中智学・妹尾義郎ら日蓮系が主役でかつ政治運動へのかかわりに焦点を当てているので、碧海の本と併読をお勧めしたい。

近代仏教という視座―戦争・アジア・社会主義

近代仏教という視座―戦争・アジア・社会主義

 

オリオン・クラウタウ『近代日本思想としての仏教史学』法蔵館、二〇一二)は、近代化の過程で「日本仏教」の概念がどのように形成されたかを丹念にトレースする。我々が仏教について語るフレームを問い直す試みであり、けっこう冷や汗の出る読書体験になるだろう。

近代日本思想としての仏教史学

近代日本思想としての仏教史学

 

最初に紹介した『近代仏教スタディーズ』はブックガイドが充実しているので、詳しくはそちらを参照いただきたいが、思いつくまま他の文献も挙げてみたい。本書では第二部の途中でほったらかしにしてしまった神智学の日本における受容史、および神智学との邂逅が仏教に与えた影響については、吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史」(『宗教研究』84(2)、二〇一〇)「似て非なる他者 近代仏教史における神智学」(『ブッダの変容』収録)に詳しい。

加えて杉本良男「比較による真理の追求 マックス・ミュラーとマダム・ブラヴァツキー」(『国立民族学博物館調査報告』90、二〇一〇)「四海同胞から民族主義へ アナガーリカ・ダルマパーラの流転の生涯」(『国立民族学博物館研究報告』36(3)、二〇一二)は、より広い視野で神智学と仏教の関係を俯瞰している。特に後者は日本語で書かれたダルマパーラ論として白眉であり、大アジア思想活劇と銘打ちながらも思想の中身には踏み込みが甘かった本書を補完して余りある内容だ。

本文に一部追記したが、オルコット招聘に関わった京都の仏教者たちの動向もだいぶ分かってきた。中西直樹・吉永進一『仏教国際ネットワークの源流 海外宣教会(1888年1893年)の光と影(龍谷叢書)』(三人社、二〇一五)は、本書前半の山場であるオルコット招聘運動前後に盛り上がりを見せた明治二十年代の仏教国際ネットワークに焦点を当てた労作だ。本書26章で紹介した白人仏教徒、フォンデスと日本仏教の関係についても詳しい。

仏教国際ネットワークの源流 (龍谷叢書35)

仏教国際ネットワークの源流 (龍谷叢書35)

 

 一方、こちらも吉永進一を代表とする「近代日本における知識人宗教運動の言説空間 『新佛教』の思想史・文化史的研究」(科学研究費補助金基盤研究B研究課題番号20320016 2008年度~2011年度)からは、神智学と決別した後のダルマパーラと日本の仏教系知識人との交流の軌跡を読みとることができる。四〇〇ページ近い報告書がネットで公開されている。

18章、19章で扱った釈興然のセイロン留学については、奥山直司「明治インド留学生 興然と宗演」(田中 雅一・奥山 直司編『コンタクトゾーンの人文学』第Ⅳ巻、晃洋書房、二〇一三)に比較的まとまったレポートが載っている。

コンタクト・ゾーンの人文学〈第4巻〉Postcolonial/ポストコロニアル

コンタクト・ゾーンの人文学〈第4巻〉Postcolonial/ポストコロニアル

 

また、石川泰志『近代皇室と仏教 国家と宗教と歴史(明治百年史叢書)』原書房、二〇〇八)には釈興然の師である釈雲照の詳細な伝記が収録されている。『近代仏教スタディーズ』でも、皇室がらみの項目は欠けていたので、類書のない貴重な仕事と思う。

近代皇室と仏教―国家と宗教と歴史 (明治百年史叢書)

近代皇室と仏教―国家と宗教と歴史 (明治百年史叢書)

 

長期間にわたり日本仏教界の関心を喚起し続けたブッダガヤ復興運動(本書24章以降参照)に関しては、外川昌彦「ダルマパーラのブッダガヤ復興運動と日本人 ヒンドゥー教僧院長のマハントと英領インド政府の宗教政策を背景とした」(『日本研究』53、国際日本文化研究センター、二〇一六)にて詳細な検証がなされている。

大谷栄一「アジアの仏教ナショナリズムの比較分析」(『近代と仏教』収録)は、本書32章から34章まで詳述したダルマパーラと田中智学の会見について深掘りした論考だ。「一八八〇年代から仏教改革運動に取り組んできた二人が、一九〇〇年代に自らの仏教ナショナリズム思想を築き上げていく中で共感し、影響を与えあった点に、両者の出会いの歴史的意味があった」と結ばれている。

まとめにあたる41章で、「戦前日本仏教の海外活動とその戦後への影響に関しては、そのディテールもまだあまり知られていない」と記した。最近は、この分野での研究の進展も目覚ましい。大澤広嗣・編『仏教をめぐる日本と東南アジア地域(アジア遊学 一九六)』勉誠出版、二〇一六)は過去一五〇年間に、テーラワーダ仏教圏でもある東南アジア地域と日本仏教がどのように関わってきたかを検証するアンソロジー。本書で名前のみ登場の東温讓やウ―・オッタマ(ウー・オウタマ)の詳しい事績を読める。

仏教をめぐる日本と東南アジア地域 (アジア遊学 196)

仏教をめぐる日本と東南アジア地域 (アジア遊学 196)

 

大澤広嗣『戦時下の日本仏教と南方地域』法藏館、二〇一五)、新野和暢『皇道仏教と大陸布教 十五年戦争期の宗教と国家』社会評論社、二〇一四)は、戦時体制下の日本仏教の歩みを知るうえで欠かせない。研究者向けには『資料集・戦時下「日本仏教」の国際交流』(不二出版、二〇一六~)も順次刊行されている。

戦時下の日本仏教と南方地域

戦時下の日本仏教と南方地域

 
皇道仏教と大陸布教―十五年戦争期の宗教と国家

皇道仏教と大陸布教―十五年戦争期の宗教と国家

 

本書の執筆に際して国立国会図書館に随分お世話になった。現在は「国立国会図書館デジタルライブラリー国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)」にアクセスすれば、野口復堂のインド旅行記(単行本『大鼎呂』収録)、平井金三のシカゴ万国宗教会議演説といった資料を読むことができる。オルコット来日時の演説集も多数収録されており、ダルマパーラ(達磨波羅、ダンマパラで検索のこと)の講演録まである。便利になったものだと思う。ちなみに電子図書館青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)には、本書にもしばしば登場する河口慧海の主著チベット旅行記が全文公開されている。同じく著作権フリーになったばかりの鈴木大拙についても、今後著作のデジタル版公開が進むだろう。時の流れとともに、近代仏教は我々にとってより身近のものにもなっている。

www.aozora.gr.jp

本書の第三部では、スリランカ出身の仏教活動家アナガーリカ・ダルマパーラと日本の関わりを通して二十世紀前半のアジア仏教復興運動を概観した。現代の日本には、そのスリランカも含む南アジア・東南アジアで伝承されたテーラワーダ仏教が急速に浸透しつつある。これは本書で扱った時代には考えられなかった変化と言えよう。仏典研究とアジア地域研究の学際的英知を結集したパーリ学仏教文化学会『上座仏教事典』(めこん、二〇一七)の刊行は、そんな時代を象徴していると思う。

上座仏教事典

上座仏教事典

 

スリランカ出身のアルボムッレ・スマナサーラ長老のように日本で活躍するテーラワーダ仏教の比丘は珍しくないし、タイやミャンマーで出家した日本人比丘による伝道・出版活動も活発になっている。臨終の床で、「わしのやった仕事はなにひとつ実らなかった」と枕を濡らした釈興然の時代とは別世界のようではないか。藤本晃テーラワーダは三度、海を渡る 日本仏教の土壌に比丘サンガは根付くか」(『仏教をめぐる日本と東南アジア地域 (アジア遊学 196)』収録)は、釈興然らのテーラワーダ仏教日本移植の試みなどを概観しつつ、スマナサーラ長老の活動の意味を現在進行形で考察する参与観察的なレポートである。藤本はそれで浄土真宗本願寺派の自坊を宗派離脱するに至ったので、「参与」も度が過ぎていると思うが。

ここ十数年の間で日本に広まったテーラワーダ仏教は、ヴィパッサナー瞑想というパーソナルな修行体系を媒介としているのが大きな特徴だ。本書では詳しく触れなかったが、これはまさに近代化によって再編成されたテーラワーダ仏教像である(リチャード・ゴンブリッチ、ガナナート・オベーセーカラ、島岩訳スリランカの仏教法蔵館、二〇〇二参照)。明治以降、最近まで南伝仏教といえば「戒律仏教」というステレオタイプで語られていたことを思い出してほしい。小島敬裕ミャンマー上座仏教と日本人 戦前から戦後にかけての交流と断絶 」(『仏教をめぐる日本と東南アジア地域 (アジア遊学 196)』収録)では、ヴィパッサナー瞑想ブーム以前にミャンマーのマハーシ長老から直接冥想指導を受けた日本人僧侶たちのその後を追っているが、ほんの数十年前の近過去と現在で、テーラワーダ仏教への関心の動機づけががらりと変わっていることに驚かされる。この瞑想中心の仏教受容というトレンドは、南伝上座仏教の日本移植という一方向的な動きでは説明できない。それはダルマパーラや釈宗演といった本書の登場人物によって種を蒔かれた「アメリカ仏教」(ケネス・タナカアメリカ仏教 仏教も変わる、アメリカも変わる』武蔵野大学出版会、二〇一〇参照)が日本に逆上陸したマインドフルネス・ブームとも密接に関わっている。

アメリカ仏教

アメリカ仏教

 

ネットで読める新田智通「仏教の「スピリチュアル化」について 現代世界における仏教の変容」(『佛教学セミナー』100、大谷大学佛教学会、二〇一四)は、「近代西洋との避遁を通じてある変化が仏教に生じ、それがこんにちの「スピリチュアリティ」の概念と結び付いた新しい仏教につながっていった」という流れを概観できる論文である。『別冊サンガジャパン1 実践!仏教瞑想ガイドブック』(サンガ、二〇一四)、『別冊サンガジャパン3 マインドフルネス 仏教瞑想と近代科学が生み出す、心の科学の現在形』(サンガ、二〇一六)は、近代化の過程で全地球に広がった仏教が、形を変えながら日本に打ち寄せる様子をカタログ的に概観できる同時代資料だ。

別冊サンガジャパン 1 実践!  仏教瞑想ガイドブック

別冊サンガジャパン 1 実践! 仏教瞑想ガイドブック

 
マインドフルネス 仏教瞑想と近代科学が生み出す、心の科学の現在形 (別冊サンガジャパン3)

マインドフルネス 仏教瞑想と近代科学が生み出す、心の科学の現在形 (別冊サンガジャパン3)

  • 作者: 蓑輪顕量,メンタリストDaiGo,井上ウィマラ,荻野淳也,川畑のぶこ,熊野宏昭,小池龍之介,越川房子,島田啓介,永沢哲,ネルケ無方,バリー・カーズィン,ビル・ドウェイン,藤田一照,藤野正寛,村川治彦,清水ハン栄治,井上広法,前野隆司,田中ウルヴェ京
  • 出版社/メーカー: サンガ
  • 発売日: 2016/11/30
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

仏教という偉大な精神文化は、近代という時代においてもなお、日本人が広大な世界へと自らを「開いてゆく」窓、普遍への回路であり続けていた。

この作品の冒頭につづった言葉の効力は、現代という時代においてもなお、失われていないと思う。願わくは『大アジア思想活劇』というほつれの目立つ大風呂敷をきっかけに、近代仏教の面白さと、切なさと、そして現代を生きる我々に通じる精神の筋道とを感じてもらえたならば幸いである。ぜひ続けて、あとがきで紹介した書籍・文献にも手を伸ばしてほしい。最後に、ここまでお付き合いいただいた読者の皆様に心より感謝を申し上げます。幸せでありますように。

 

補遺

 

 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~

 

佛教史学会編『仏教史研究ハンドブック』法蔵館(2017年に読んだ仏教本より)

Twitterで書き散らしてた読書メモを年末に向けてまとめたいと思います。2017年に読んだ仏教本の記録として。まずは佛教史学会編『仏教史研究ハンドブック』法蔵館です。

仏教史研究ハンドブック

仏教史研究ハンドブック

 

インド、アジア諸国・地域、中国、朝鮮半島、日本の仏教の歴史と教義がつめこまれた便利でコンパクトな一冊。仏教史を学び始めたい人、幅広く知りたい人に最適!

版元ページに詳細目次が載ってます。

www.hozokanshop.com

これはすごい。日本仏教編では第4章がまるまる「日本近代」とな。20年前だったら想像だにつかない研究トレンドの変化っすな。(^^♪

その一方で、第1部第1章「インド」は日本その他仏教圏で用いられた”素材”としての仏典編纂史をなぞっているだけで、インド仏教の展開を通史的に捉える視座は皆無。勿論アンベードカルによる近代仏教復興運動は本文でも巻末年表でもガン無視。第1部第2章「アジア諸国・地域」も、やけにあっさり。

第2部「中国」「朝鮮半島」は日本への影響が大きい地域だけにバランスよい概説になっていると思う。まだまだざっと眺めただけの印象だけど、分野ごとの記述の偏りを感じ取るだけでも、現代日本の研究者たちが仏教史にそそぐ眼差しのありさまが伝わってきて面白い読み物です。

ちなみに第3部「日本」第4章「日本近代」(3)「異文化接触」 3「来日仏教徒」を吉永進一先生が執筆されているのですが、参考文献欄に拙著『大アジア思想活劇』サンガ,2008 を挙げて下さっています。いつもありがとうございます。m(_ _)m

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

 

『中外日報』2017/6/30号に「テーラワーダ仏教と日本(論 近代日本の宗教11)」を寄稿

宗教専門の老舗新聞『中外日報』2017/6/30号に「テーラワーダ仏教と日本(論 近代日本の宗教11)」を寄稿しました。拙著『大アジア思想活劇: 仏教が結んだ、もうひとつの近代史Kindle版のPRをしつつ、表題テーマについて概観した文章です。掲載先からお許しをいただいたので、全文をブログで公開します。

追記:中外日報さんのホームページにも記事が掲載されました。

www.chugainippoh.co.jp

f:id:ajita:20170706155424j:plain

中外日報』論 近代日本の宗教11(2017/6/30号)

テーラワーダ仏教と日本

佐藤哲朗日本テーラワーダ仏教協会 編集局長)

 

このほど、拙著『大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史』(二〇〇八、サンガ)を電子書籍化しました。同書は明治維新に伴う廃仏毀釈で大きな打撃を受けた仏教界が復興を模索する過程で、それまで「小乗仏教」と観念的に軽侮してきた南伝上座仏教テーラワーダ仏教)を奉じるスリランカ仏教復興運動と邂逅した歴史の細い糸を辿ったものです。電書版の編集過程で、改めて近代史における仏教国際交流の意義について考えさせられました。以下、いくつかのキーワードに沿って論じたいと思います。

アジアからの風、アメリカという権威

拙著では、二人の海外仏教者に焦点を当てました。一人はアメリカ出身のヘンリー・スティール・オルコット(1832-1907)、もう一人はスリランカ出身のアナガーリカ・ダルマパーラ(1864-1933)です。前者は神智学協会の創始者で、南アジアに渡ってスリランカ仏教の復興及び近代化を指導しました。後者はそのオルコットに見出された仏教活動家です。明治20年代初頭、白人の仏教指導者であるオルコットを日本に招聘する運動が京都仏教徒グループで盛り上がりました。仏教が欧米のキリスト教に劣らぬ宗教であることを証明するために。明治22年(1889)に実現したオルコット来日は一時的な仏教ブームを巻き起こします。随行のダルマパーラは高楠順次郎(1866-1945)らと友情を結び、生涯で四回来日して仏教徒の連帯と反植民地主義を訴え続けました。「瀕死」の日本仏教に新たな活力を与えたのは、アメリカ人オルコットとその従者たるアジアの仏教者であり、彼らを触媒として南北に離散した仏教世界は一つに結びつけられたのです。それから50有余年のち、第二次世界大戦で米国を盟主とする連合国に大敗した日本はアメリカの下流域国家として国際秩序に組み込まれ、米国は物心両面で権威の源泉となりました。近年の日本では、テーラワーダ仏教圏の修道体系がアメリカ経由の「マインドフルネス瞑想」として権威づけられ広く受容されています。これは明治22年、京都の知恩院パーリ語三帰依五戒文を唱えて仏教界に衝撃を与えたオルコット来日から、仏教史の大きな流れで繋がっているように思えます。

マインドフルネスと「念」解釈の変容

戦後の1950年代、ミャンマーで瞑想の大家として名高いマハーシ長老(1904-1982)のもとに日本曹洞宗の青年僧侶たちが参じ、ヴィパッサナー瞑想を学びました。しかし、彼らが日本でその教えを紹介することはありませんでした。当時、日本の仏教者はテーラワーダ仏教を「戒律仏教」と見なす認知バイアスに囚われており、瞑想実践への関心は皆無に等しかったのです。日本でいわゆるヴィパッサナー瞑想(観の実践)が広まったのは、主に一九九〇年代です。指導者はスリランカミャンマー出身の僧侶、あるいは当該国で修行を積んだ在家者でした。それが二十一世紀になってから、アメリカのマインドフルネス瞑想ブームにのって一般化したのです。前述のように、戦後日本はアメリカの下流域国家であり、スピリチュアルな権威もまた米国のお墨付きがものを言います。その米国仏教には、1893年のシカゴ宗教大会以来、本格的に進出した日本の禅仏教関係者も大きな影響を与えました。なお、マインドフルネスは仏教用語「念(サティ)」の英訳ですが、このマインドフルネス及びアウェアネスからの重訳語である「気づき」が、伝統的な「念」解釈にも影響を与えています。従来、八正道の正念は「正しい記憶」「正しい思念」など、具体的な実践と結びつき難い単語に訳されていました。テーラワーダ仏教のサティ概念が(英語経由で)移入されたことで、仏道実践の要諦たる「正念」の実践が、「気づき」なる日常語とともに一気に普及したのです。

仏教ナショナリズム

ダルマパーラは全世界の仏教徒にインド・ブッダガヤ大菩提寺の奪還闘争(この運動は日本からインドに帰化した佐々井秀嶺師に継承され、一定の成果をあげた)を呼びかけた汎仏教主義者であるとともに、仏教徒が多数派をしめるシンハラ民族に依拠したシンハラ仏教ナショナリズムの祖でもあります。*12009年に終結したスリランカ内戦は、仏教徒シンハラ民族とヒンドゥー教徒タミル民族の対立として報じられました。最近では、ミャンマー仏教徒によるイスラム教徒ロヒンギャ民族の迫害を告発する報道も頻繁に目にします。現在、仏教ナショナリズムの問題がテーラワーダ仏教圏で頻発しているのは事実です。三宝帰依を天皇制国家への絶対的献身へとすり替えた黒歴史は日本仏教に大きな傷を残しましたが、スリランカにせよミャンマーにせよ仏教徒(および仏教を奉じる民族)は多数派であっても全体ではあり得ません。宗教的ナショナリズムを貫徹すれば、その他の少数派グループは論理的帰結として排除・殲滅に追い込まれるのです。上座仏教圏の宗教ナショナリズムは、仏教を含む諸宗教が天皇制カルトへの同化を強いられた日本の前例とは異なる毒性を胚胎しています。一切衆生の幸福を願う世界の仏教者は、誰もが脛に傷を持つ自覚のもと、宗教ナショナリズムの克服に向けて尽力すべきでしょう。

日本人の仏教となったテーラワーダ仏教

いわゆる近代仏教史の範疇では、日本におけるテーラワーダ仏教移植の試みはいったん潰えています。真言宗の釈興然(1849-1924)は、明治23年(1890)に留学先のスリランカで具足戒を受けて比丘となり、帰国後は外護者を得て日本人留学僧をスリランカに送り出して日本人比丘サンガ設立を期したが挫折しました。興然の挫折からほぼ100年を経た現代、数十名規模のテーラワーダ仏教比丘が日本に滞在しています。居留民コミュニティに依拠する外国人僧侶、海外で出家後に帰国した日本人比丘が大多数ですが、日本国内に設定された戒壇で受戒した日本人比丘もいます。実質上、日本にもテーラワーダ仏教サンガが成立していると言えるでしょう。彼らを支える裾野として、テーラワーダ仏教に帰依あるいは強いシンパシーを持つ日本人も万単位で存在すると思われます。テーラワーダ比丘による法話やパーリ仏典に関する日本語の出版やネット情報も、既成仏教を凌駕する勢いです。この潮流が逆転することは、もうないでしょう。日本でテーラワーダ仏教が受容された遠因に、増谷文雄、中村元などの書籍を通じて普及した「原始仏教」ブランドに合致したことが挙げられるでしょう。近代的「原始仏教」イメージに由来する合理性の強調と、アメリカとアジアの合作であるマインドフルネス実践のセットは、テーラワーダ仏教をスマートな非宗教的な実践体系として日本人に受容させました。とはいえ伝統的な宗学で再生産された「小乗仏教」への偏見も根強く、日本におけるテーラワーダ仏教の受容には、常にプラスとマイナスの鬩ぎあいがありました。明治の開国以来かなりの時間を要しましたが、ここ十年ほどで、テーラワーダ仏教は移民コミュニティの仏教から「日本人の仏教」に成長したと言えるでしょう。その一方で、東南アジアやスリランカ仏教に触れた人々の中には、仏教徒の大多数が瞑想に関心を持たず、祭礼や布施儀式を中心としている実態に困惑する向きもあります。これは、アメリカやヨーロッパで禅堂に通い、いざ「仏教国日本」を訪ねて激しいギャップに驚く欧米人の感覚に近いかもしれません。これから日本におけるテーラワーダ仏教の変容を参与観察する上で、近代仏教史研究の成果への目配せは欠かせないと痛感しています。皆さまも動態としての仏教世界を見通す一つの視座として、「テーラワーダ仏教と日本」の行く末に注目してほしいと願っています。

f:id:ajita:20170706154710p:plain

【写真】オルコット日本出発式の記念写真。仏教世界が一体化した近代を象徴している。明治22年(1889)1月コロンボで撮影。出典:the BUDDHIST and the Theosophical Movement 1873-1992(the Maha Bodhi Society of India)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

 

*1:アナガーリカ・ダルマパーラの言説と行動には、普遍主義的な仏教ミッショナリー、仏教アジア主義者、シンハラ仏教ナショナリスト、という三つのレイヤーがある。それについて触れておいた方が良かったなと後で気づいた。(^^;

note(ノート)に過去記事をまとめてみた。

過去に商業誌やムック、新聞、雑誌などに寄稿した仏教仏教書がらみの原稿をnote(ノート)にまとめてみました。他にもあるけど、追々拡充したいと思います。いまのところラインナップは以下の通り。

 

note.mu

スマナサーラ長老ベストブックガイド 100冊から厳選!これだけは読んでおきたい(2011年)/「仏壇」に吹き込んだ新しい風 日本仏教に「原点回帰」を促すブックガイド(2011年)/たかが仏教、されど仏教 ~日本人の思考のルーツを旅する8冊~(2002年)/ウパーシカー仏教の誕生 在家女性信者のこれから(2013年)/改訂「キリスト教仏教か」(2009年)……という感じで、今世紀初頭からの一般向け仏教書のトレンド変化がわかる読み物になっていると思います。

 

note.mu

日本におけるダルマパーラ、野口復堂、釈雲照、島地黙雷井上円了、南條文雄、清沢満之高楠順次郎大谷光瑞、多田等観、河口慧海、釈宗演、鈴木大拙、田中智学、姉崎正治宮沢賢治、妹尾義郎、……という17人の評伝です。近代仏教史を調べるとぶち当たる重要人物の半分くらいはカバーしてますかね?

 

note.mu

こちらは既出。さとりと解脱、四聖諦、中道、八正道、因果法則と縁起、無常・苦・無我、戒律、修行、慈悲、空、業、輪廻、仏教の宇宙観、地獄と極楽、出家と在家、菩薩、上座部と大乗、六波羅蜜、密教、ジャータカ、ブッダの生涯、……という21項目にわたって、仏教の基本キーワードを解説しています。

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

日本におけるアナガーリカ・ダルマパーラ

久しぶりに「ダルマパーラ」でネット検索してみたら、意外と情報が薄かった(HP版の『大アジア思想活劇』を閉鎖した影響が大きいのかな?)ので、以前佼成出版社の『新アジア仏教史』14巻に寄稿した拙稿「日本におけるダルマパーラ」を公開したいと思います。

近代国家と仏教 (新アジア仏教史14日本?)

近代国家と仏教 (新アジア仏教史14日本?)

 

日本におけるダルマパーラ 佐藤哲朗

アナガーリカ・ダルマパーラ(Anagarika Dharmapala 一八六四〜一九三三)はスリランカ(英領セイロン)に生まれた仏教者である。アナガーリカとは本来「出家者」を意味する言葉だが、彼は正式な得度儀式を受けず、有髪のまま黄色い袈裟をまとい、禁欲清浄行を守りながら仏教伝道と社会的実践に従事した。スリランカは比丘戒の伝統が厳守されるテーラワーダ仏教上座部仏教)の国だが、ダルマパーラは晩年まで非僧非俗の「破格の仏教者」として東奔西走し、西欧列強による支配と近代化の歪みの中で自信喪失していた内外の仏教徒を鼓舞し続けた。

ダルマパーラが掲げたスローガンは「仏教世界の連合(United Buddhist World)」であった。他の仏教国に先駆けて近代化した日本に、彼は生涯にわたって強い期待をかけた。ダルマパーラは四度にわたって来日し、平井金三、高楠順次郎、釈雲照、釈宗演、鈴木大拙、田中智学など多くの日本人仏教者と交流をもった。ヒンドゥー教徒に管理されていた釈尊成道の聖地、インド・ブッダガヤを奪還するべく、日本の仏教者と共闘した時期もある。

一八八九年二月、ダルマパーラは神智学協会会長のH・S・オルコット大佐の随員として、野口復堂に伴われて初来日した。神智学協会はキリスト教に圧迫されるスリランカ仏教の復興を支援し、大きな成果をあげていた。オルコットの名声は日本にも届き、同じくキリスト教徒の攻勢に危機感を抱く平井金三ら仏教徒グループが彼を招聘したのである。京都の知恩院で、満場の観衆を前に朗々としたパーリ語三帰依五戒を唱える白人仏教徒の姿に、日本人は度肝を抜かれた。オルコットの公開演説会は全国三十三都市で七十六回を数え、述べ二十万人近くを動員した。オルコットはスマンガラ大長老の親書を携えたスリランカ仏教の公式使節であり、彼の来日によって南北仏教の相互交流が本格化した。一方、ダルマパーラは寒さのため神経痛に冒され、長く病床に伏していた。そこで熱心に看病した青年仏教徒の一人が高楠順次郎(当時の澤井洵)で、二人は終生変わらぬ友となる。小康状態を得たダルマパーラは、何回かの演説会に出席した。彼は植民地下に暮らす仏教徒の窮状を訴え、仏教復興がシンハラ民族の尊厳を回復し、英国支配からの解放を実現するべきことを宣言して聴衆の同情と喝采を集めた。

二度目の来日は一八九三年十月、アメリカ合衆国シカゴで開催された万国宗教会議(同年九月)の帰路であった。釈宗演、土宜法龍、野口復堂ら日本代表団と同行した彼は、アメリカにおける「初転法輪」成功の余勢をかい、「大菩提会 (Maha Bodhi Society) 」を通じたブッダガヤ聖地奪還への協力を訴えかけた。ダルマパーラが持参したブッダガヤの石仏は東京芝の天徳寺で開帳され、多くの参詣者が詰め掛けた。また村上専精、織田得能らと南北仏教の相互理解のための討論会も開催した。この来日時に天徳寺住職より寄贈された阿弥陀如来坐像は、ブッダガヤ奪還運動の象徴となる。ダルマパーラは「日本の仏像」をブッダガヤに奉安せんとしてヒンドゥー教徒らの妨害を受け、その報せに日本の仏教徒が激高したことで外交問題にもなった。

一九〇二年四月、三度目の来日を果たしたダルマパーラは「活動仏教」を提唱し、出家者主体の仏教の停滞を批判して、在家信徒や青年仏教徒の奮起を促した。彼の来日を契機として、同年五月、東京の高輪仏教大学に「万国仏教青年連合会」が発足される。平井金三・桜井義肇らと「日印協会」設立にも尽力し、日本とインド圏の関係促進を図る民間外交使節の役回りを演じた。彼は同年二月に日英同盟が締結されたことに触れ、「この際を機として欧米人の間になお存する種族的嫌忌の念を去らしめ、一面アジアの同胞をその不幸より救うは覇を太平洋上に握る日出帝国の任務に非ずや」(『中央公論』一九〇二年六月号)と期待を述べている。さらに国柱会の田中智学と長時間にわたり会見し、相互の仏教観を正面からぶつけあい、仏法興隆によるインド解放と世界統一のビジョンを語り合った。英国支配からの自立に向けて運動を先鋭化させつつあったダルマパーラは、スリランカの多数派シンハラ民族のアイデンティティは仏教と不可分だと強調した。後に彼は「シンハラ仏教ナショナリズム」のイデオローグと称される。

一九一三年四月に最後の来日をしたダルマパーラは、日本の仏教界から冷遇された。明治後期の革新的な仏教運動は、大正時代に入るまでにはほとんどが廃れ、日本仏教界に彼の受け皿は無くなっていた。当時の仏教新聞は、ブッダガヤ復興の資金集めなどに関する醜聞を書き立て、ダルマパーラを「世界的詐欺師、仏教破壊者」(『中外日報』五月九日号)と攻撃した。ダルマパーラは仏教者としてよりむしろ、アジア解放を訴える「インドの志士」として迎えられた。彼は各地の講演で、欧米での排日の風潮や、黄禍論の横行を激烈に批判し、日本統治下にあった朝鮮や満州も視察してその発展ぶりをしきりに称賛した。彼は「汎アーリア主義」的な文明観に立って、「日本がアジア人種の運命を導いてゆくことは、その優れた地位ゆえ完全に正当化される」(Maha Bodhi Journal,1913.9,Vol.21 No.9)とまで述べた。

二年後、ダルマパーラはスリランカの暴動事件(セイロン暴動)を扇動した嫌疑でカルカッタに五年間にわたり軟禁され、実の弟は獄死した。晩年には病苦との闘いも激しさを増していった。

一九三一年十一月、釈尊初転法輪の地サルナートにムーラガンダクティー精舎(根本香室精舎)が建立されると、大菩提会は仏伝壁画の揮毫を日本人画家に依頼してきた。一九三二年十一月に渡印した野生司香雪が、ついにブッダガヤの「降魔成道図」を描き終えた時、ダルマパーラは「アゝこれで宿望を達した」と述べたという。一九三三年四月二十九日、来世も仏教のために生きようと念じながら、ダルマパーラは客地インドでその生涯を閉じた。

アナガーリカ・ダルマパーラと日本との関係については、拙著『大アジア思想活劇 仏教が結んだ、もうひとつの近代史』(サンガ)に詳しいので、興味のある方はぜひお読みください。

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

 

追伸:ダルマパーラと同時代を生きた日本近代仏教史の人物 について、以下のページで列伝風に紹介しています。よろしければ併せてご覧ください。

note.mu

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

仏教タイムスに『キリスト教か仏教か』書評を寄稿


週刊仏教タイムス2009年6月25日号に、書評を寄稿した。

キリスト教か仏教か―歴史の証言

キリスト教か仏教か―歴史の証言

『キリスト教か仏教か 改訂第二版』(訳:釈悟震/監修:中村元/挿画:西村公朝/版元:山喜房仏書林)


amazon.co.jp のDBは古いままになっている(著者名にある「金漢益」は釈悟震師の俗名)。『仏教タイムス』は専門誌なので読まれる機会は少ないと思うから、以下に書評を転載したい。

本書は一八七三年八月、大英帝国の植民地支配下にあったスリランカ(英領セイロン)で、仏教とキリスト教の間で行われた、いわゆる「パーナドゥラ論戦」の全記録である。韓国出身の釈悟震師の手で一九九五年に訳出され大きな反響を呼んだが、このたび改訂版が出版された。*1


当時のスリランカ仏教を代表する論客であったグナーナンダ長老と、キリスト教宣教師(メソジスト派)二人との公開論戦は、二大宗教の優劣を決するための真剣勝負だった。そのため前もって双方が論戦のルールを十カ条にわたって定め、同意書も交わされた。


初日から攻勢に出たグナーナンダは、シンハラ語訳「旧約聖書」において、有名な「妬む神(Jealous God)」という言葉が「輝く神(jwalita Deviyo)」と意図的に誤訳されている事実を告発する。キリスト教徒は自らの教義を隠してまで改宗を進めたいのか? という批判に、宣教師は言葉を濁すしかなかった。グナーナンダは続けて、旧約聖書とスリランカの土着信仰を比較し、いわゆる「創造主」は、生贄を求め人間の血を好む点で悪霊の類と同類ではないかと刺激的な問いを投げかける。キリスト教側は二日目に地理学を援用した「須弥山説」批判で一矢を報いるが、ここでもグナーナンダは、当時の科学者の異説を巧みに引用することで五分以上に巻き返してしまう。他にもいくつかの論点が出たが、論戦は誰が見ても、グナーナンダの圧勝に終わった。このパーナドゥラでの勝利が、欧米や日本をも巻き込んだ仏教復興運動の基点となったことは中村元博士の「監修のことば」に詳しい。*2


ちなみに論戦の冒頭、キリスト教側は仏教を「死後の霊魂を認めない虚無主義」と攻撃して、グナーナンダからこっぴどい逆襲を食らっている。この種の仏教批判は、不干斎ハビアン(戦国から江戸初期のキリシタン論客)の『妙貞問答』*3にも見出せる古典的なものだ。グナーナンダの反論は、「無我ゆえに輪廻が成り立つ」というロジックで首尾一貫していた。一方、儒教の世俗主義との論戦や妥協を経て「輪廻」を棚上げする傾向にあった東アジアの大乗仏教は、キリシタンもといキリスト教の批判に対して、どれだけ説得力のある反論をなし得ただろうか。


十九世紀後半、東西の世界宗教が四つに組んだ論戦の記録を紐解くことは、歴史的瞬間を追体験するのみならず、現代日本人の仏教理解をいま一度、基本から洗いなおすためのよい勉強になると思う。

書評するために、久々に三回ほど続けざまに通読したのだが、いろいろ発見があった。記事では落とした情報だが、パーナドゥラ論戦が行われたパーナドゥラ地方には、実はスマナサーラ長老の生まれ育った村も含まれている。


グナーナンダ長老とスマナサーラ長老は別に同郷というわけではないが、何となく両者をつなぐ系譜が頭に浮かんでしまうのは、僕だけではないだろう。


また、写真提供というささやかな形ではあれ私がテーラワーダ仏教に関するお手伝いをした最初の本がこの『キリスト教か仏教か』であり、その訳者あとがきで釈悟震師の畏友として謝辞を捧げられているのがスマナサーラ長老だったり……まぁ、世界は狭いです。


↓参加ブログの皆さんが幸せでありますように……↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ

〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜

*1:[f:id:ajita:20090629012354j:image]"PANADURA VADAYA" 英語版の表紙

*2:[asin:4901679953:detail]「欧米や日本をも巻き込んだ仏教復興運動」については、こちらを……

*3:[asin:4106036282:detail][http://d.hatena.ne.jp/ajita/20090213/p2:title=2009-02-13『不干斎ハビアン』をめぐって]でレビューしておいた。

アジ活書評(住職のひとりごと)

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

広島県福山市の備後國分寺住職、横山全雄(よこやま・ぜんのう)師がご自身のブログ「住職のひとりごと」にて、拙著『大アジア思想活劇』の書評をしてくださった。

明治時代、それは日本仏教にとって未曾有の衝撃に襲われた時代である。皇室の保護、国家の体制に護られ、また各時代の為政者に師事されてきた仏教、そして江戸時代には国教と言える地位にあった仏教が、天地逆転して賊教にまで貶められたと言っては言いすぎであろうか。明治初年の神仏分離令から肉食妻帯解禁の布告が出るまでの五年間ほどは各地で寺院が廃合され、僧侶が還俗させられたり、仏像経巻も焼却廃棄された。こぞって僧職が還俗して神官になり、神社に遣えた大寺もあった。そういう時代である。


『大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史』(平成20年9月サンガ刊)は、その激動の明治仏教から戦後までの近代の仏教について、アジアの多くの国が経験した植民地支配を仏教の復興によって国民に仏教徒としての誇りを取り戻すことによって独立運動へと志気を高めていったスリランカという誇り高き仏教国との交渉から紐解いていく。そしてその交渉史によって、あたかも今日の日本仏教に興っている一つの大きな変革がその流れの中にあることを示唆しているかの展開となっているように思えるのは私だけであろうか。


もちろん、そのことにまだ多くの人は気づいていないだろう。しかし、現在日本で、にわかに興りつつあるこの大きなうねりは、つまりこの大乗仏教の国にいま正に上座仏教直伝のお釈迦様の教えがかなり本格的に浸透しつつあるという、大げさに言えば一つの思想啓蒙運動は、それは一人のスリランカ僧の来日から30年という時間をかけて醸成されたものではあるが、それがかなりはっきりとした兆しを見せ始めている現在、スリランカと日本仏教の関係が昨日今日始まったわけではないというこの歴史の必然性を学ぶ意味でも、この大著を読んでおくことは決して無駄なことではないだろう。

とゆー書き出しの、たいへん格調高い書評。たいへん励みになります。横山全雄師の文章を読んで興味をもたれた方は、書店や図書館などで『大アジア思想活劇』をご一読いただければ幸いです。


↓参加ブログの皆さんが幸せでありますように……↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ

〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜