サンガジャパン Vol.33 (2019summer) 特集「人間関係――人付き合いの悩みを解決する」/嫌われる勇気/謎の独立国家ソマリランド/他・関連書籍 仏弟子の仏教書話2

仏教書についてダラダラ話をするYouTube動画、更新しました。


サンガジャパン Vol.33 (2019summer) 特集「人間関係――人付き合いの悩みを解決する」/嫌われる勇気/謎の独立国家ソマリランド/他・関連書籍 仏弟子の仏教書話2【書評】

 

仏教書の編集を仕事とするチャンネル主が仏教書を中心に本についてのあれこれをダラダラしゃべります。第2回は、季刊『サンガジャパン Vol.33 (2019summer) 特集「人間関係――人付き合いの悩みを解決する」』(サンガ)について、読みどころをご紹介します。関連して、岸見一郎さん、高野秀行さん、スマナサーラ長老などの著作についても触れています。

 

■動画で言及した書籍(一部)

季刊『サンガジャパン Vol.33 (2019summer) 特集「人間関係――人付き合いの悩みを解決する」』(サンガ)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4865641580/naagita-22/

岸見一郎『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478025819/naagita-22/

岸見一郎『幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII』(ダイヤモンド社
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478066116/naagita-22/

白取春彦超訳 ニーチェの言葉』ディスカヴァー・トゥエンティワン
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/488759786X/naagita-22/

アルボムッレ・スマナサーラ『それならブッダにきいてみよう: 人間関係編』ウエスタパブリッシング
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B079F51FPZ/naagita-22/

高野秀行『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』(集英社文庫
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087455955/naagita-22/

高野秀行ミャンマーの柳生一族』(集英社文庫
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00KRYD4K2/naagita-22/

高野秀行,清水克行『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(集英社文庫
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087458784/naagita-22/

アルボムッレ・スマナサーラ山折哲雄『迷いと確信―大乗仏教からテーラワーダ仏教へ』(サンガ)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4901679406/naagita-22/

 

佐藤 哲朗(さとう てつろう)
1972年、東京都生まれ。東洋大第二部文学部印度哲学科卒業。ライター・雑誌編集者などを経て2003年から日本テーラワーダ仏教協会事務局長、現・編集局長。インターネットを通じた伝道活動、アルボムッレ・スマナサーラ長老の著作編集を担当。
著書に『大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史』『日本「再仏教化」宣言!』共にサンガ。共著に『日本宗教史のキーワード』慶應義塾大学出版会などがある。
Blog: http://naagita.hatenablog.com/
Twitter: https://twitter.com/naagita

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

映画を通して知る韓国現代史 仏弟子の俗世間話その2/道徳ロボット+幸福な監視国家・中国 仏弟子の仏教書話1

星飛雄馬さんとの対談企画『仏弟子の俗世間話』その2では、映画を通して知る韓国現代史について話し合いました。


映画を通して知る韓国現代史 仏弟子の俗世間話その2

『タクシー運転手』『1987』など韓国映画の傑作を手がかりにして韓国現代史を学びます。二人とも韓国に関する専門家ではないので間違いやミスリードもあるかもしれませんが、嫌韓感情や反日親日といった単純な図式化を乗り越えた隣国との相互理解に資することができれば幸いです。

■取り上げた映画

『タクシー運転手 約束は海を越えて』
http://klockworx-asia.com/taxi-driver/

1987、ある闘いの真実
https://www.youtube.com/watch?v=enpWwlQW4gI

『弁護人』
https://www.youtube.com/watch?v=0HoPXxlVaNw

『国際市場で逢いましょう』
https://www.youtube.com/watch?v=VxAJyEY16lY

麻薬王
https://www.netflix.com/title/80236133

番外『釜山行(新感染 ファイナル・エクスプレス)』
https://www.youtube.com/watch?v=k3829dsZyzY

 

それから、仏教書についてダラダラしゃべる動画も始めました。


道徳ロボット/幸福な監視国家・中国 仏弟子の仏教書話1【書評】

初回は、最近編集を担当したアルボムッレ・スマナサーラ『道徳ロボット――AI時代に欠かせない「幸せに生きる脳」の育て方』(サンガ)について、本作りの過程で読んだ参考文献等まじえてプレゼンします。後半では、ちょっと脱線して最近激推の梶谷懐・高口康太『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)をご紹介します。

■動画で言及した書籍などの一覧

アルボムッレ・スマナサーラ『道徳ロボット AI時代に欠かせない「幸せに生きる脳」の育て方』(サンガ)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4865641599/naagita-22/

リチャード・ゴンブリッチブッダが考えたこと プロセスとしての自己と世界』(サンガ)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/486564119X/naagita-22/

鄭雄一『東大理系教授が考える 道徳のメカニズム』(ベスト新書)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4584123993/naagita-22/

ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』河出書房新社
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B07GGF5HLH/naagita-22/

梶谷懐・高口康太『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140885955/naagita-22/

アルボムッレ・スマナサーラ智慧を育む ブッダの道徳論(MP3音声&PDF資料zip圧縮)』日本テーラワーダ仏教協会
https://j-theravada.stores.jp/items/5cf066b3c843ce05ff6f99a8

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

拙稿「仏教とジレンマ」がスマナサーラ長老の単行本『道徳ロボット』に収録される

昨年12月刊行の『サンガジャパン Vol.31 特集:倫理――理性と信仰』の巻頭記事「仏教における倫理とは何か?」にて、スマナサーラ長老の前座的な役回りで「仏教とジレンマ」という文章(講演文字起こしのていの書下ろし)を寄稿しました。2018年10月11日に行われた「第51回サンガくらぶ」でしゃべった内容がもとです。

特に反響らしきものもありませんでしたが、このたびスマナサーラ長老の単行本『道徳ロボット――AI時代に欠かせない「幸福に生きる脳」の育て方』(サンガ)に収録されました。

同書の読みどころはAI やロボットに「道徳エンジン」を搭載する研究に取り組む鄭雄一教授(東京大学大学院)とスマナサーラ長老の対談ですね。僕の担当箇所では、スマナサーラ長老との対話パートで、スリランカ史書(マハーワンサ)の記述は、金科玉条のように捉えるべきではない、という言葉を聞けたのは良かったなと。

僕の問題提起は以下のような内容。

 古代スリランカのドゥッタガーマニー王は、スリランカの北部を支配していたインド系異教徒のエーラーラ王(徳のある王だったとされる)と戦って勝利した英雄として知られています。
 彼は挙兵する際、自らの槍先に仏舎利を仕込んで仏教徒の聖戦を演出しました。敵王エーラーラを殺し戦争に勝利した後、スリランカ仏教サンガの長老たち(八人の阿羅漢たち)は大量殺戮を懺悔する(ふりをしていた?)ドゥッタガーマニーをこのように慰めるのです。

 

 その業(戦争による大量殺戮)が、御身の天界に生まれる道に差し障ることはありません。人間の王よ、ここでは、ただ一人半の人が殺されただけです。一人は三帰依しており、他も五戒を保っていましたが(※エーラーラ王のこと?)、他は邪見ならびに悪行の輩で、獣類に等しいと思われます。御身はまた様々な方法でブッダの教えを輝かしなさい。そうすれば、人間の王よ、あなたの心の憂いは払拭されるでしょう。

 

 ここでは、王が殺戮したダミラ人(インド系民族)を「邪見ならびに悪行のやからで、獣類に等しい」として、殺生を正当化しているように読めます。①のケースとも少しかぶりますが、仏法を守る(護法)という「崇高」な目的と、殺してはならぬ(不殺生)という仏教の戒律がぶつかったジレンマですね。
 阿羅漢たちの(とされる)言動について、仏教的にはどのように解釈・評価するべきなのでしょうか?(p105-106)

 スマナサーラ長老のコメントは以下のとおり。

 先ほどの話にも出ましたが、大昔にドゥッタガーマニーという王がいました。私はあまり好きな王ではないのですが、歴史書『マハーワンサ』を書いたマハーナーマというお坊さんは、王家の連中のご機嫌を取るためにドゥッタガーマニーをやたらと褒め称える歴史書を創作したんですね。それがスリランカの正史になってしまっているのです。『マハーワンサ』が書かれたときには、ドゥッタガーマニーはとっくに死んでいましたが……。本を書いたのはお坊さんですから、ドゥッタガーマニーがたくさんの仏塔を作ったことをありがたがっているんですね。それだけの話だと思います。
 だから、『マハーワンサ』の中で、阿羅漢たちがこれこれを言ったというのは完璧に嘘の伝承で、マハーナーマさんはただの歴史学者で、ただの学僧で、阿羅漢の心は知りません。阿羅漢たちは社会と関わりを持ちません。お坊さんが社会と関わりを持つと、けっこうジレンマになる問題がたくさん出てきます。(p128-129)

というわけで、スマナサーラ長老も僕も佐々木閑さんが『ごまかさない仏教 仏・法・僧から問い直す』と指弾してたような「テーラワーダ歴史原理主義者」とは一線を画したスタンスでやっておりますので、悪しからず。

naagita.hatenablog.com

 

拙稿「仏教とジレンマ」を通じて、僕が強調したかったのは以下のくだりです。

 ジレンマを説かないはずの仏教の歴史で、なぜジレンマが起こるのか。お釈迦様の教えは完全である(svākkhāta 善説)とされますが、その完全さはジレンマと無縁であることを意味しないのです。ある仏典に記録された対話を読んでみましょう。


阿羅漢も迷う―『ミリンダ王の問い』より


ミリンダ王の問い(milindapañhā)』に、紀元前にインド北西部を支配していたメナンドロス大王(ミリンダ王、ギリシャ系植民王国の主)と仏教僧侶ナーガセーナ長老との対話が記録されています。成立が早いとされる前半部分に、興味深いやり取りが出てきます。

 

大王「尊者よ、(阿羅漢は)迷うでしょうか? あるいは迷わないでしょうか?」

長老「大王よ、ある事柄については迷い、ある事柄については迷わないでしょう」
大王「尊者よ、どのような事柄については迷い、いかなる事柄については迷わないのでしょうか?」
長老「大王よ、まだ知られていない技術の領域、あるいはかつて行ったことのない地方、あるいはかつて聞いたことのない名称・表記については迷うでしょう」
大王「どのような事柄については迷わないのでしょうか?」
長老「大王よ、(覚りの)智慧により、『無常なり』『苦なり』『無我なり』とされた事柄については迷わないでしょう」
(『ミリンダ王の問い』第一篇第二章)

 真理に関わらない時事的・社会的な事柄については阿羅漢も迷うのだ、というのですね。敷衍すれば、「サンガも迷う」ということでしょう。

 先ほどのケースに照らせば、ドゥッタガーマニー王への阿羅漢たちの言葉も、シャム派サンガのカースト排除も、その当時の社会状況ではジレンマへの穏当な対応だったかもしれません。でも、それは歴史的な文脈を超えて、普遍的に正しいとは言えないのです。(もっと言えば、お釈迦様が比丘尼サンガに八重法を課したことも、他の選択肢があり得ない永遠の真理であるというよりは、古代インドの社会状況においてはそうせざるを得なかった、ということにとどまると思います)
 現代に同じことをしたら、仏教サンガは社会的非難を浴びることでしょう。阿羅漢や仏教サンガの言説や行動であっても、社会に関わる限りにおいて、それは相対的な正しさにとどまらざるを得ない。
 仏教は出世間の道を世間の只中で指し示さなくてはいけないのですから、絶えずジレンマに直面して、そのつど智慧と慈悲を駆使して、永遠にトライ&エラーし続けなくてはならないのだろうと思います。

(中略)

 仏法は不変だが、変化し続ける社会との関係はアップデートが必要、ということですね。(p108-111)

 

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消費税増税はなぜダメなのか? 仏弟子の俗世間話その1

YouTubeの番組(よもやま対談)始めました。

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消費税増税はなぜダメなのか? 仏弟子の俗世間話その1

 

仏道実践や仏教書の編集を通じて知り合った二人の対談企画『佐藤哲朗星飛雄馬 仏弟子の俗世間話』です。記念すべき第一回「消費税増税はなぜダメなのか?」では、10月に迫った消費税増税の問題を取り上げます。

  • そもそも、なぜ星さんは消費税を上げることに反対なの?
  • 少子高齢化が進んでいるし、社会保障を充実させるためにはやっぱり安定した消費税を財源にすることが必要なんじゃないの? ・ネットでよく言われてる「財務省による洗脳」って本当なの?
  • 増税民主党政権時代の三党合意で決まったから、安倍さんが中止できないのも仕方ない?
  • 消費税増税を掲げる安倍政権は一貫して選挙で勝っているので、国民の信任という意味では、すでに増税容認で決定? ・消費税は逆進性ばかり言われるが 、現役世代の数が減るなかで全ての世代からまんべんなく徴収できる消費税はむしろ公平な税制では?
  • 北欧などの「福祉国家」では例外なく消費税率が高い。やはり社会保証の充実のため消費税増税は不可避では?
  • 結局、いま日本で消費税を上げたらどうなるの?
  • 消費税増税に頼らないとすれば、これからどうやって日本の景気を回復させ、社会の閉塞感を無くしていけばよいのか?

経済政策について詳しい星飛雄馬さんに、なんとなく増税嫌だなぁというド素人の佐藤哲朗がざっくばらんに質問をぶつけました。

 

星 飛雄馬(ほし ひゅうま) 1974年、長野県生まれ。著述家・翻訳家。東京都立大学大学院社会科学研究科修士課程修了。東京大学社会情報研究所教育部修了。修士社会学)(東京都立大学、二〇〇一年)。専門は宗教社会学、社会政策。 著書に『初期仏教キーワード』(サンガ)、『45分でわかる! 数字で学ぶ仏教語。』(マガジンハウス)、訳書にアーチャン・チャー『[ 増補版] 手放す生き方』、マハーシ・サヤドー『ヴィパッサナー瞑想』(以上、サンガ)などがある。

Blog: https://huma.hatenablog.com
Twitter: https://twitter.com/humahoshi

 

佐藤 哲朗(さとう てつろう) 1972年、東京都生まれ。東洋大第二部文学部印度哲学科卒業。ライター・雑誌編集者などを経て2003年から日本テーラワーダ仏教協会事務局長、現・編集局長。インターネットを通じた伝道活動、アルボムッレ・スマナサーラ長老の著作編集を担当。 著書に『大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史』『日本「再仏教化」宣言!』共にサンガ。共著に『日本宗教史のキーワード』慶應義塾大学出版会などがある。

Blog: http://naagita.hatenablog.com/
Twitter: https://twitter.com/naagita

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

『大アジア思想活劇』電書版あとがき(近代仏教史研究ブックガイド&関連論文ガイド)

2017年4月に刊行された大アジア思想活劇――仏教が結んだ、もうひとつの近代史 Kindle版の電書版目次です。noteに載せようと思ったんだけど、こういう書誌データ盛りだくさんのものはやっぱブログですね。2008年~2017年初頭の約10年に刊行された近代仏教史研究ブックガイド&関連論文ガイドみたいな内容になってるので、そのような活用法もしていただければ幸い。以下、全文です。

 電書版あとがき

本書は二〇〇八年九月刊行の単行本『大アジア思想活劇 仏教が結んだ、もうひとつの近代史』(サンガ)に一部加筆修正を加えた電子書籍である。

刊行から八年、単行本の素材となったメールマガジン配信から数えるとすでに十数年が経過しており、資料的価値という点ではいささか不安が残る。そこで電書版あとがきでは、本書が扱った近代仏教に関する最近の出版動向を把握している範囲で紹介し、内容の不備を少しでも補完したいと思う。

振り返ると、今世紀初頭までは近代の仏教をテーマにした出版自体が希少だった。いまでは往時とは比べ物にならないほど「近代仏教研究」が盛り上がっている。その勢いを全体的に見通すことのできる一冊といえば、大谷栄一、吉永進一、近藤俊太郎・編『近代仏教スタディーズ 仏教からみたもうひとつの近代』法蔵館、二〇一六)が挙げられるだろう。執筆者は実に二十九人。本書で詳述したダルマパーラ、オルコットら海外仏教徒との交流史を包む、近代仏教の広大な沃野を一望するパノラマ絵巻のような楽しい本だ。

近代仏教スタディーズ: 仏教からみたもうひとつの近代

近代仏教スタディーズ: 仏教からみたもうひとつの近代

 

併せて、末木文美士・ 林淳・吉永進一・大谷栄一・編ブッダの変貌 交錯する近代仏教 (日文研叢書) 』法蔵館、二〇一四。同書の母胎となった研究報告書、末木文美士・編『近代と仏教』国際日本文化研究センター、二〇一二はインターネットで閲覧可能)も推したい。海外研究者の翻訳記事を含み、全地球的な視野で近代仏教に迫ったアンソロジーである。

ブッダの変貌―交錯する近代仏教 (日文研叢書)

ブッダの変貌―交錯する近代仏教 (日文研叢書)

 

仏教史の初学者向けに編纂された『仏教史研究ハンドブック』法蔵館、二〇一七)でも、日本仏教編では全四章構成のうち第四章がまるまる「日本近代」に割かれている。古代・中世・近世・近代とほぼ均等のボリュームで、筆者が学生時代に日本仏教史といえば近世・近代は付け足し程度だったことを考えると大変な変わりようだ。

仏教史研究ハンドブック

仏教史研究ハンドブック

 

『近代国家と仏教(新アジア仏教史14日本Ⅳ)』佼成出版社、二〇一一)の版元コメントに「かつて圧倒的な厚みを誇った鎌倉仏教研究に変わり、今一番ホットな仏教研究分野である近代仏教」と書かれていた時は驚いたが、昨今の出版ラッシュを見るとそれも過言ではないかもしれない。

近代国家と仏教 (新アジア仏教史14日本?)

近代国家と仏教 (新アジア仏教史14日本?)

 

 単著では、碧海寿広『入門 近代仏教思想』ちくま新書、二〇一六)では、真宗大谷派の系譜に属する仏教系知識人の足跡を通じて近代日本仏教の変容を「仏教の教養化の展開」として描いている。後味の悪さ(ほとんどは暁烏敏の言行に起因する)含めて、近代仏教を学ぶ入り口にもってこいの一冊と思う。

入門 近代仏教思想 (ちくま新書)

入門 近代仏教思想 (ちくま新書)

 

 一方、大谷栄一『近代仏教という視座 戦争・アジア・社会主義ぺりかん社、二〇一二)は田中智学・妹尾義郎ら日蓮系が主役でかつ政治運動へのかかわりに焦点を当てているので、碧海の本と併読をお勧めしたい。

近代仏教という視座―戦争・アジア・社会主義

近代仏教という視座―戦争・アジア・社会主義

 

オリオン・クラウタウ『近代日本思想としての仏教史学』法蔵館、二〇一二)は、近代化の過程で「日本仏教」の概念がどのように形成されたかを丹念にトレースする。我々が仏教について語るフレームを問い直す試みであり、けっこう冷や汗の出る読書体験になるだろう。

近代日本思想としての仏教史学

近代日本思想としての仏教史学

 

最初に紹介した『近代仏教スタディーズ』はブックガイドが充実しているので、詳しくはそちらを参照いただきたいが、思いつくまま他の文献も挙げてみたい。本書では第二部の途中でほったらかしにしてしまった神智学の日本における受容史、および神智学との邂逅が仏教に与えた影響については、吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史」(『宗教研究』84(2)、二〇一〇)「似て非なる他者 近代仏教史における神智学」(『ブッダの変容』収録)に詳しい。

加えて杉本良男「比較による真理の追求 マックス・ミュラーとマダム・ブラヴァツキー」(『国立民族学博物館調査報告』90、二〇一〇)「四海同胞から民族主義へ アナガーリカ・ダルマパーラの流転の生涯」(『国立民族学博物館研究報告』36(3)、二〇一二)は、より広い視野で神智学と仏教の関係を俯瞰している。特に後者は日本語で書かれたダルマパーラ論として白眉であり、大アジア思想活劇と銘打ちながらも思想の中身には踏み込みが甘かった本書を補完して余りある内容だ。

本文に一部追記したが、オルコット招聘に関わった京都の仏教者たちの動向もだいぶ分かってきた。中西直樹・吉永進一『仏教国際ネットワークの源流 海外宣教会(1888年1893年)の光と影(龍谷叢書)』(三人社、二〇一五)は、本書前半の山場であるオルコット招聘運動前後に盛り上がりを見せた明治二十年代の仏教国際ネットワークに焦点を当てた労作だ。本書26章で紹介した白人仏教徒、フォンデスと日本仏教の関係についても詳しい。

仏教国際ネットワークの源流 (龍谷叢書35)

仏教国際ネットワークの源流 (龍谷叢書35)

 

 一方、こちらも吉永進一を代表とする「近代日本における知識人宗教運動の言説空間 『新佛教』の思想史・文化史的研究」(科学研究費補助金基盤研究B研究課題番号20320016 2008年度~2011年度)からは、神智学と決別した後のダルマパーラと日本の仏教系知識人との交流の軌跡を読みとることができる。四〇〇ページ近い報告書がネットで公開されている。

18章、19章で扱った釈興然のセイロン留学については、奥山直司「明治インド留学生 興然と宗演」(田中 雅一・奥山 直司編『コンタクトゾーンの人文学』第Ⅳ巻、晃洋書房、二〇一三)に比較的まとまったレポートが載っている。

コンタクト・ゾーンの人文学〈第4巻〉Postcolonial/ポストコロニアル

コンタクト・ゾーンの人文学〈第4巻〉Postcolonial/ポストコロニアル

 

また、石川泰志『近代皇室と仏教 国家と宗教と歴史(明治百年史叢書)』原書房、二〇〇八)には釈興然の師である釈雲照の詳細な伝記が収録されている。『近代仏教スタディーズ』でも、皇室がらみの項目は欠けていたので、類書のない貴重な仕事と思う。

近代皇室と仏教―国家と宗教と歴史 (明治百年史叢書)

近代皇室と仏教―国家と宗教と歴史 (明治百年史叢書)

 

長期間にわたり日本仏教界の関心を喚起し続けたブッダガヤ復興運動(本書24章以降参照)に関しては、外川昌彦「ダルマパーラのブッダガヤ復興運動と日本人 ヒンドゥー教僧院長のマハントと英領インド政府の宗教政策を背景とした」(『日本研究』53、国際日本文化研究センター、二〇一六)にて詳細な検証がなされている。

大谷栄一「アジアの仏教ナショナリズムの比較分析」(『近代と仏教』収録)は、本書32章から34章まで詳述したダルマパーラと田中智学の会見について深掘りした論考だ。「一八八〇年代から仏教改革運動に取り組んできた二人が、一九〇〇年代に自らの仏教ナショナリズム思想を築き上げていく中で共感し、影響を与えあった点に、両者の出会いの歴史的意味があった」と結ばれている。

まとめにあたる41章で、「戦前日本仏教の海外活動とその戦後への影響に関しては、そのディテールもまだあまり知られていない」と記した。最近は、この分野での研究の進展も目覚ましい。大澤広嗣・編『仏教をめぐる日本と東南アジア地域(アジア遊学 一九六)』勉誠出版、二〇一六)は過去一五〇年間に、テーラワーダ仏教圏でもある東南アジア地域と日本仏教がどのように関わってきたかを検証するアンソロジー。本書で名前のみ登場の東温讓やウ―・オッタマ(ウー・オウタマ)の詳しい事績を読める。

仏教をめぐる日本と東南アジア地域 (アジア遊学 196)

仏教をめぐる日本と東南アジア地域 (アジア遊学 196)

 

大澤広嗣『戦時下の日本仏教と南方地域』法藏館、二〇一五)、新野和暢『皇道仏教と大陸布教 十五年戦争期の宗教と国家』社会評論社、二〇一四)は、戦時体制下の日本仏教の歩みを知るうえで欠かせない。研究者向けには『資料集・戦時下「日本仏教」の国際交流』(不二出版、二〇一六~)も順次刊行されている。

戦時下の日本仏教と南方地域

戦時下の日本仏教と南方地域

 
皇道仏教と大陸布教―十五年戦争期の宗教と国家

皇道仏教と大陸布教―十五年戦争期の宗教と国家

 

本書の執筆に際して国立国会図書館に随分お世話になった。現在は「国立国会図書館デジタルライブラリー国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)」にアクセスすれば、野口復堂のインド旅行記(単行本『大鼎呂』収録)、平井金三のシカゴ万国宗教会議演説といった資料を読むことができる。オルコット来日時の演説集も多数収録されており、ダルマパーラ(達磨波羅、ダンマパラで検索のこと)の講演録まである。便利になったものだと思う。ちなみに電子図書館青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)には、本書にもしばしば登場する河口慧海の主著チベット旅行記が全文公開されている。同じく著作権フリーになったばかりの鈴木大拙についても、今後著作のデジタル版公開が進むだろう。時の流れとともに、近代仏教は我々にとってより身近のものにもなっている。

www.aozora.gr.jp

本書の第三部では、スリランカ出身の仏教活動家アナガーリカ・ダルマパーラと日本の関わりを通して二十世紀前半のアジア仏教復興運動を概観した。現代の日本には、そのスリランカも含む南アジア・東南アジアで伝承されたテーラワーダ仏教が急速に浸透しつつある。これは本書で扱った時代には考えられなかった変化と言えよう。仏典研究とアジア地域研究の学際的英知を結集したパーリ学仏教文化学会『上座仏教事典』(めこん、二〇一七)の刊行は、そんな時代を象徴していると思う。

上座仏教事典

上座仏教事典

 

スリランカ出身のアルボムッレ・スマナサーラ長老のように日本で活躍するテーラワーダ仏教の比丘は珍しくないし、タイやミャンマーで出家した日本人比丘による伝道・出版活動も活発になっている。臨終の床で、「わしのやった仕事はなにひとつ実らなかった」と枕を濡らした釈興然の時代とは別世界のようではないか。藤本晃テーラワーダは三度、海を渡る 日本仏教の土壌に比丘サンガは根付くか」(『仏教をめぐる日本と東南アジア地域 (アジア遊学 196)』収録)は、釈興然らのテーラワーダ仏教日本移植の試みなどを概観しつつ、スマナサーラ長老の活動の意味を現在進行形で考察する参与観察的なレポートである。藤本はそれで浄土真宗本願寺派の自坊を宗派離脱するに至ったので、「参与」も度が過ぎていると思うが。

ここ十数年の間で日本に広まったテーラワーダ仏教は、ヴィパッサナー瞑想というパーソナルな修行体系を媒介としているのが大きな特徴だ。本書では詳しく触れなかったが、これはまさに近代化によって再編成されたテーラワーダ仏教像である(リチャード・ゴンブリッチ、ガナナート・オベーセーカラ、島岩訳スリランカの仏教法蔵館、二〇〇二参照)。明治以降、最近まで南伝仏教といえば「戒律仏教」というステレオタイプで語られていたことを思い出してほしい。小島敬裕ミャンマー上座仏教と日本人 戦前から戦後にかけての交流と断絶 」(『仏教をめぐる日本と東南アジア地域 (アジア遊学 196)』収録)では、ヴィパッサナー瞑想ブーム以前にミャンマーのマハーシ長老から直接冥想指導を受けた日本人僧侶たちのその後を追っているが、ほんの数十年前の近過去と現在で、テーラワーダ仏教への関心の動機づけががらりと変わっていることに驚かされる。この瞑想中心の仏教受容というトレンドは、南伝上座仏教の日本移植という一方向的な動きでは説明できない。それはダルマパーラや釈宗演といった本書の登場人物によって種を蒔かれた「アメリカ仏教」(ケネス・タナカアメリカ仏教 仏教も変わる、アメリカも変わる』武蔵野大学出版会、二〇一〇参照)が日本に逆上陸したマインドフルネス・ブームとも密接に関わっている。

アメリカ仏教

アメリカ仏教

 

ネットで読める新田智通「仏教の「スピリチュアル化」について 現代世界における仏教の変容」(『佛教学セミナー』100、大谷大学佛教学会、二〇一四)は、「近代西洋との避遁を通じてある変化が仏教に生じ、それがこんにちの「スピリチュアリティ」の概念と結び付いた新しい仏教につながっていった」という流れを概観できる論文である。『別冊サンガジャパン1 実践!仏教瞑想ガイドブック』(サンガ、二〇一四)、『別冊サンガジャパン3 マインドフルネス 仏教瞑想と近代科学が生み出す、心の科学の現在形』(サンガ、二〇一六)は、近代化の過程で全地球に広がった仏教が、形を変えながら日本に打ち寄せる様子をカタログ的に概観できる同時代資料だ。

別冊サンガジャパン 1 実践!  仏教瞑想ガイドブック

別冊サンガジャパン 1 実践! 仏教瞑想ガイドブック

 
マインドフルネス 仏教瞑想と近代科学が生み出す、心の科学の現在形 (別冊サンガジャパン3)

マインドフルネス 仏教瞑想と近代科学が生み出す、心の科学の現在形 (別冊サンガジャパン3)

  • 作者: 蓑輪顕量,メンタリストDaiGo,井上ウィマラ,荻野淳也,川畑のぶこ,熊野宏昭,小池龍之介,越川房子,島田啓介,永沢哲,ネルケ無方,バリー・カーズィン,ビル・ドウェイン,藤田一照,藤野正寛,村川治彦,清水ハン栄治,井上広法,前野隆司,田中ウルヴェ京
  • 出版社/メーカー: サンガ
  • 発売日: 2016/11/30
  • メディア: 単行本
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仏教という偉大な精神文化は、近代という時代においてもなお、日本人が広大な世界へと自らを「開いてゆく」窓、普遍への回路であり続けていた。

この作品の冒頭につづった言葉の効力は、現代という時代においてもなお、失われていないと思う。願わくは『大アジア思想活劇』というほつれの目立つ大風呂敷をきっかけに、近代仏教の面白さと、切なさと、そして現代を生きる我々に通じる精神の筋道とを感じてもらえたならば幸いである。ぜひ続けて、あとがきで紹介した書籍・文献にも手を伸ばしてほしい。最後に、ここまでお付き合いいただいた読者の皆様に心より感謝を申し上げます。幸せでありますように。

 

補遺

 

 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~

 

平成から令和へ――日本におけるテーラワーダ仏教のこれから

1989年から2019年にかけての平成時代は、アルボムッレ・スマナサーラ長老(1945- )の日本における初期仏教伝道活動の期間とほぼ一致します。長老の活動を通じて、それまで小乗という侮蔑(反面としての原始仏教本流という畏怖)対象であったテーラワーダ仏教・上座仏教の教えと実践が日本に広まっていきました。

書籍やインターネット、講演や瞑想会などを入口とした伝道活動によって、多くの人々がお釈迦さまの教えと結縁(智慧の種を渡す)を果たしました。しかし、それが芽を出して涅槃という結果に至るかどうかは一人ひとりの宿題です。

新たな元号令和が「離者令和 和者随喜」という阿含経典のフレーズに(も)由来することは既に触れました。しかし、世の中の風潮としては普遍的な真理よりも小さな拠所・アイデンティティに縋りたい、仏教用語でいえば宗我に閉じ籠もりたい、という希望・願望が渦巻いているようにも見えます。

希望・願望はそれが不可能であるが故に強化されるものです。虚飾と虚偽に塗れた言説で日本の卓越性を謳い上げる政治的・文化的保守主義が、仏教界にも浸透しつつあることは身近に起きている事象を観れば分かります。しかし排外を叫ぶ声は現実否認の悲鳴に過ぎず、正念ある者たちの前途を阻めるものではありません。

日本という国・地域に法灯を点したばかりのテーラワーダ仏教は、一般向けの布教伝道という局面から一歩を踏み出し、出家比丘サンガ設立とそれを支える強力な在家仏教徒の組織化へと向かうことでしょう。

それは明治にスリランカで初のテーラワーダ比丘となった釈興然(1849-1924)の遺志を引き継ぐことでもあり、早世された西村玲先生(1972-2016)が明らかにした江戸期仏教者たちの釈尊への思慕*1を受け継ぐことでもあります。

テーラワーダ仏教伝来という未完の近代仏教プロジェクト。令和なる元号のもと、わたしたちはその最終局面に参与し、立ち会うことになるのです。

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

新元号「令和」の出典は阿含経典で(も)ある!

出典は『万葉集』だと? ふふふ…… いくら趣向を凝らして #新元号 を作っても、お釈迦様の掌からは逃れられないぞ。

沙門瞿曇捨滅兩舌。不以此言壞亂於彼。
不以彼言壞亂於此。有諍訟者能令和合。
已和合者増其歡喜。有所言説不離和合。
誠實入心所言知時。

(佛説長阿含經卷第十四 梵動経※)

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※パーリ長部1梵網経(DN1.Brahmajāla Sutta)に相当。SAT大正新脩大藏經テキストデータベースで調べると大般若や華厳経にも出てくるので、大乗仏典が好きな人はそっちが出典だと言い張ろう!

同じ阿含系だと、

離者令和。和者隨喜。

(雜阿含經卷第三十六 1040経)

こっちのほうが出典っぽいかな?

有諍訟者能令和合。已和合者増其歡喜。(長阿含
離者令和。和者隨喜。(雑阿含

並べてみるとほぼ対応しています。「争う人々に調和を齎し、調和した社会の幸福度(喜び)を増す。」いずれも不両舌(不離間語)の徳を説いたくだりですね。

万葉集再読

万葉集再読

ちなみに、佐竹昭広萬葉集再読』平凡社あたりを読んだ記憶だと、万葉歌人の多くが和歌の元ネタに漢訳仏典を使っていたそうです。もちろん実際の元ネタはこちらっぽいので、「令」の意味も違うんですけど……

元号「令和」の出典、万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」ですが、『文選』の句を踏まえていることが、新日本古典文学大系萬葉集(一)』https://www.iwanami.co.jp/book/b325128.html の補注に指摘されています。
「「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦・文選巻十五)」とある。」

https://twitter.com/iwabun1927/status/1112589397491277824
 
それにしても、膨大な漢訳仏典や漢文仏典を駆使してきた仏教界から、文献に即した元号ネタへの反応が無いのは寂しいことだなと感じます。参考までに、パーリ『梵網経』該当箇所の和訳貼っておきましょう。

『両舌を断じ、両舌から離れて、沙門ゴータマは、これらの不和合のために、こちらから聞いてあちらに告げることなく、あるいは、あれらの不和合のために、あちらで聞いてこれらに告げることがない。
かく、〔ブッダは〕、あるいは壊された〔和合〕の調停者、あるいは融和した〔和合〕の助長者であり、和合を喜び、和合を楽しみ、和合を歓喜し、和合をなさしめる言葉を話す』と。

光明寺経蔵より

「和合をなさしめる samaggakaraṇiṃ」が漢訳されて #令和 となるのです。というわけで、新元号「令和(呉音で”りょうわ”と読むと、さらに仏典ぽくなる)」のパーリ語訳は samaggakaraṇa(サマッガカラナ)に決定いたしました。

「サマッガカラナ元年」が皆さまにとって佳き年でありますように!

~生きとし生けるものが幸せでありますように~