2017年の出版関係お仕事(スマナサーラ長老の書籍など……結局かなり盛りだくさん)

2017年に出た仏教書の振り返りもしようかなと思ったけど、とりあえず年内に挙げておくべき記事ということで、今年たずさわった出版関係お仕事(スマナサーラ長老の書籍編集など。協会機関誌『パティパダー』や施本制作は除く)を載せておきますね。

【電書】は古いタイトルの電書化、または電書のみでの刊行。その他は原始書籍(紙を綴じたやつ)ですが、断り書きをしたタイトル以外は、ほぼ同時に電書版も出ています。

原始仏典――その伝承と実践の現在―― (サンガジャパンVol.25)

原始仏典――その伝承と実践の現在―― (サンガジャパンVol.25)

 

サンガジャパンで今年から連載が始まったスマナサーラ長老のパーリ経典解説「スッタニパータ(経集)第五『彼岸道品』」で構成を担当してます。編集者・ライターとしてはほんとにやりがいのある仕事ですね。まだ雑誌連載の段階ですが、仏教書読み全員必読と言いたい濃厚な内容なので、ぜひサンガジャパンを手に取ってみてください。

PHPから2008年に出たロングセラー(手帳サイズ)の文庫化です。一部に加筆修正を施しました。

【電書】2007年に宝島社から出た『「やさしい」って、どういうこと?』(2009年に文庫化改題)の電書版です。宝島社は紙の書籍に拘泥して電子書籍をまったくやる気がないようなので、再編集版を協会からKDP使って出しました。タイトルは初出に戻したほうがよかったかな、と後になって思ったのですが……。(^^;

[新装版]老病死に勝つブッダの智慧

[新装版]老病死に勝つブッダの智慧

 

2008年に出た『まさか「老病死に勝つ方法」があったとは―ブッダが説く心と健康の因果法則』(2009年、サンガ新書化に伴い改題)を単行本サイズで新装版として再発したものです。

視野狭窄になりがちな親子の関係を輪廻と業という巨大なスケールで俯瞰して、互いの「学び合いの関係」として捉えなおす視座を提供してくれる一冊です。ちなみに第五章「親子関係のしまい方」では、孫との接し方や、自ら死に向かって執着を捨てる訓練についても説かれています。子育て世代に限らず、幅広く読まれてほしい本です。

【電書】2014年に刊行された協会施本が底本。電書化にあたり文意がより明確になるようスマナサーラ長老から一部加筆を賜りました。「言葉は人生を潰す重荷にもなり、成長の頂点に立たせる力も持つ」という宣言から始まる、ブッダの実践言語学とも言うべき緻密な作品です。人間らしい生き方を左右する感情と理解能力。言葉の問題を考える上で避けて通れない洗脳とマインドコントロールの分析。ひとの人生を設定する言葉の重み。そして、ブッダが教えた幸福になるための言葉の使い方。日常会話に限らず、SNSなどで言葉を発信する機会の多い現代人にとって、戒めとなるポイントが数多く示されています。

【電書】2008年刊行の拙著を増補改訂しました。詳細は以下のブログ記事で紹介済みです。つぎはぎだらけではありますが、最近の近代仏教史研究に関する成果を概観した「電書版あとがき」などまだこのジャンルの基本書としてのクォリティは失っていないと思うので、未読の方はぜひ目を通していただきたいと思います。

naagita.hatenablog.com

【電書】 2009年刊行の同タイトルを電書化。朝日カルチャー講義「初期仏教入門」うをもとに構成された作品です。タイトル通り、智慧を「人生の羅針盤」として生きるために、仏教の基本的な概念をしっかりと学び直す本で雨。3章までは初期仏教から見た、生きるとは何か?、生きるとは何かと知ったうえで我々はどう生きるべきか?という分析です。4章・5章は仏教における理想の境地である「涅槃」について論じられています。「悟り(さとり)」は日本独自の言葉で「覚り」こそが真理への目覚め。解脱とは得るのではなく、ただ捨てるだけ。涅槃とは決して語れない。……といった根本的で刺激的な言葉の数々にぐいぐい引っ張られます。読後は仏教知識がデフラグされたような爽快感に包まれることでしょう。

【電書】 初出は2004年のロングセラー(協会刊)。何冊かある子育てをテーマにしたスマナサーラ長老の本のなかでも定番といえる一冊を電書用に再編集しました。冒頭で、育児の基本となる「人生の目的」について問い直し、現代人を悩ます子育てに関する固定観念を巧みに解きほぐします。中盤から後半にかけては、吉祥経や六方礼経(シガーラ経)から親子関係の極意を学びます。締めくくりに登場するラーフラ尊者と父であるお釈迦さまの対話は本当に感動的です。巻末収録された小学三年生の女の子から長老への9の質問も、はっとさせられる内容で、子育ての当事者以外にも勉強になることが多い一冊です。

スマナサーラ長老がご自身のこれまでの歩みと経験に照らしながら、人間が幸福に生きるための道筋を示したエッセイ集です。「いま、自分が何をするべきなのか。どうしたら最善を尽くせるのか。常に考え、判断し、実行してください。成長の歩みを止めないようにしましょう。それが大人の条件です。」(本文より)長老が仰る「大人の条件」、身に沁みます。

【電書】2007年に単行本が出たロングセラー(2011年サンガ選書)の電書化。ひとは誰でも、複数の「顔(性格)」を使い分けて世間を渡っています。貪瞋痴に突き動かされつつ、決定的な破たんを避けようと、本音と建前の相反する心を切り替えて生きています。自分とは確固たるものではなく、煩悩と体裁のあいだで絶え間なく変化し続ける代物に過ぎません。「本音」に渦巻く悪を「建前」の善で隠そうとする自己欺瞞の過程で、我々のアイデンティティは必然的に断片化されるのです。この自己欺瞞なしに、一日たりとも正常な社会生活を送ることは適わないでしょう。「善を行うつもりで、善を演じる」という「こころの騙し機能(ワンチャカダンマー)」によって、修行者の人格向上もまた妨害されているのです。この矛盾を打開する処方箋はあるのでしょうか?……という重厚な一冊です。

【電書】2011年に出た単行本の電書化です。タイトルは縁起の分析ですが、過半を占めるのは四漏、五蓋(六蓋)、七随眠、十結、三十七菩提分法(四念処、五力、七覚支、八正道など)といったパーリ経典に頻出するキーワードを、アビダンマ哲学の心・心所論に当てはめていく摂集分別。アビダンマ哲学のテクニカルタームと、実際の仏説たる経典の言葉との差異にモヤモヤしていた読者の気持ちが、やっとここで(ある程度)スッキリするという塩梅です。後半の縁起編は難解ですが「昔も今も、私は苦しみとその原因について語っている」という釈尊の言葉に沿って、実践に役立つポイントを抽出した解説が施されており、ラストの瞑想編(7,8巻)へのブリッジに相応しい内容。やはり全巻通してすごい作品と思います。 

無我―「私」とはなにか― (サンガジャパンVol.26)

無我―「私」とはなにか― (サンガジャパンVol.26)

 

こちらはまだ電書版が出てませんね。スマナサーラ長老と前野隆司先生の対談「『私』とは幻想である――仏教と幸福学の対話 心とは何か? 幸せに生きるとはどういうことか?」お手伝いしたのと、パーリ経典解説 連載第二回「スッタニパータ(経集)第五「彼岸道品」一、アジタ仙人の問い〔後編〕」構成を担当しました。

「ためこみ」という現象をモノ・ココロの両面から分析し、正しい自己管理を学ぶ本です。ゴミや悪感情は勝手にたまるけど、価値あるものや善感情は努力しないとたまらない、という指摘は辛辣です。最終章では、「ためる」(俗世間)から「捨てる」(出世間)への価値転換が説かれるあたり、仏教書としての筋がビシッと通っていてカッコいいです。

般若心経は間違い?

般若心経は間違い?

 

【電書】2007年の刊行以来、大きな波紋を惹き起こしたスマナサーラ長老の代表作です。日本はもとより、大乗仏教の影響を受けた東アジア諸国でもっとも有名な経典『般若心経』を初期仏教の角度から批判的に読み解き、併せてお釈迦さまが説かれた「空」や「無我」の真理を開顕する挑戦的な内容です。テーラワーダやパーリ仏典に関する書籍が豊富に刊行されている現在に比べれば、まだまだ初期仏教の認知度が低かった時期の著作です。それだけに、主観的な「マイ仏教」の培養液のごとき『般若心経』をなんとなく愛好してきた日本社会に一石を投じ、ブッダ本来の教えに「覚醒させる」効果は抜群だったろうと思います。底本は文庫化を経て、しばらく版元品切れとなっていました。電書化を機に、また新たな読者と仏縁を結べることを願っています。 ……Amazonのカスタマーレビュー読めば分かりますが、いわゆる「なんでも突き詰めれば一緒」とか安易にいっちゃうスピリチュアル系の人には非常に癇に障る内容なので、一種のリトマス試験紙のような本になってます。さて、あなたはどうでしょうか?

【電書】去年のまとめで紹介しましたが、単行本も刊行日付は今年1月になってましたね。 約半年遅れて電書化。7,8巻に分冊されていた『ブッダの実践心理学』の完結編、サマタ瞑想編とヴィパッサナー瞑想編を増刷のタイミングで一冊にまとめた作品です。テーラワーダ仏教のさまざま冥想実践と、ヴィパッサナー実践による智慧(観智)の開発プロセスが体系的に解説されている必読の書です。

 2013年刊行の単行本を文庫化。施本として頒布された長老のパーリ経典解説から、冥想をテーマにした5つの作品を加筆修正した選集です。中部117『大四十経』を扱った1)『八正道大全-ブッダの「偉大なる四十の法門」』では、仏道の根幹である八正道について、善なる(有漏)八正道と聖なる(無漏)八正道という二段階で説明されます。2)『瞑想による覚りへの道 お釈迦様のお見舞い』は、相応部六処篇『疾病経』(一)の解説。病気の比丘たちへの指導とあって、ヴィパッサナーはこれだけ読めば分かる、と言えるほど簡潔にして的を射た記述です。3)『勝利の経』は身体の「不浄」を観察する有名な経典で、『スッタニパータ』に収録。4)『常に観察すべき五つの真理』は増支部五集より。老・病・死・別離・業という五つの真理を念ずる冥想経典。5)『サッレーカ・スッタ 戒め-「自己」の取扱説明書』は、中部8『削減経』の解説。44の道徳項目を念じて自己を戒める冥想実践が詳説されます。最近、初期仏教の実践は〇〇メソッドなど特定の型にはまった行法と見なされがちです。本書を通してお釈迦さまの指導にじかに触れることで、より自由かつ精緻な「気づき(sati)の世界を垣間見れると思います。ちなみに電書化はまだです。

禅ー世界を魅了する修行の系譜ー(サンガジャパンVol.27)

禅ー世界を魅了する修行の系譜ー(サンガジャパンVol.27)

 

以下のブログ記事で詳しく紹介済み。スマナサーラ長老の連載「パーリ経典解説3 スッタニパータ(経集)第五「彼岸道品」二、ティッサ・メッテイヤ仙人の問い」で構成を担当しました。 長老と藤田一照師の対談「テーラワーダからみた禅」(連載第一回)もお手伝い。

naagita.hatenablog.com

【電書】2002年にスタープレスから刊行された同タイトルの電書再編集版です。長老の著作としては最初期のヒット作で、わりとイケイケの自己啓発本っぽいタイトルと見出しは時代を感じさせます。もちろん内容はいま読んでも素晴らしく、「気づき」の実践によって心のポテンシャルを高め、よりよき人生を歩もうという仏教的な前向き思考で貫かれています。読後感も爽快なので、ぜひお手元のスマホなどにご常備ください。 

ここ数年、恒例となっていたスマナサーラ長老監修の月めくりカレンダー新作です。去年までの絵手紙風から新規一転、「猫」とのコラボ企画となりました。近年の住宅事情なども考慮して、サイズを小さめに変更しています。ダンマパダを意訳した「こころおだやかにニャる」言葉と愛らしい子猫写真は、なぜか絶妙に合ってます。一月の言葉は「心を守るならば、幸せになれる」(ダンマパダ35偈)。解説文も「すべての現象は無常です。家族も財産も、健康や命さえも、絶えず変化して壊れていきます。守りきれるものではありません。一つだけ守れるもの、それは自分の『心』です」云々と、猫の可愛さにデレデレせず、直球の初期仏教を伝えていますね。ちなみに、裏表紙の長老写真も子猫とのツーショット!

【電書】初出は2015年の協会施本。忍耐・堪忍というキーワードから、ダンマパダ『諸仏の教え』を修行完成に至る実践論として解説した類書のない法話です。法門に初級も中級もありませんが、仏法のシンプルだけど底知れない凄さを読み取れる本だと思います。

2015年に刊行された『執着の捨て方』を文庫化した作品です。遠離から喜びが生じる~』の講義内容をもとにして構成された作品。仏教で説かれる四種の執着(ウパ―ダーナ)の解説と、そこから自由になる練習法を教えてくれます。電書はありませんね。

仏教と科学が発見した「幸せの法則」

仏教と科学が発見した「幸せの法則」

 

幸福学の提唱者として知られる前野隆司先生(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授)との対談集です。話題は多岐にわたりますが、「人間(生命)にとって幸福とは何か? そして人間(生命)が幸福に達するための筋道とは何か?」という太い問題意識に貫かれており、飽きさせません。帯に掲載された推薦者お二人の言葉もふるっています。

幸福についての議論は、時に表面的なものになりがちだ。ロボット工学、意識の科学、幸福学の知見が、仏教の思想、実践、伝統と響き合う本書は、深い本質の部分での「幸福論」を提供している。知的好奇心と感情の両方が満足する、稀有な本である。(茂木健一郎

『私』の実存を否定することでヒトは幸せになる――。本書ではそんな火の玉のように熱い議論が、しかし静謐に展開されます。そして、読み終えた私の中に新しい自分像が芽生え、なぜか不思議と安堵するのです。(池谷裕二

どうです? 読書意欲が湧いてきませんか?電書も近々に出るはずです。そういえば、 前野隆司先生はご自身のブログにて、単行本で割愛されたやり取りを振り返りこう述べています。

ただし、一つだけ少し残念な点がありました。対談の中で一番面白かった点が、本からはカットされた点です。長老が「日本の大乗仏教はまちがっている!」とかなり強い口調でおっしゃるので、僕は聴きました。

「長老は『怒らないこと』(サンガ新書)というベストセラーを書かれているわりには、憤りを強くあらわされますね」と。怒っているように見えたからです。すると、長老はおっしゃいました。

「怒っているんじゃないよ。笑っているんだよ!」と。詳しく書くと以下のとおりです。

「私は怒りは感じません。馬鹿なことをやっている人たちを見ていると、どうしてそんなことをするのかと、楽しくなるのです。腹は立ちません。「チャンスがあったら教えてあげますよ」という気持ちなのです。皆がなんだかおかしなことをやっているのが透けて見えるので、私は笑っているのです。」

怒っていると思ったら、笑っていたとは。文化が違うと、感情表現は違うのだなあ、と驚きました。

本を読んだ方は、長老はかなり穏やかな方だと思われるのではないかと思いますが、実は、日本の価値観から見ると、かなり情熱的な方だと感じました。上座部仏教大乗仏教の違いなのか、スリランカなどの南国と日本のような北のほうの国の違いなのか。僕は自分が自文化中心主義には陥っていないつもりでしたが、文化横断的な視点から世界を見ることの難しさを改めて感じた対談でした。

Takashi Maeno's blog |2017年10月

長老の法話や雑談に何度も触れると、怒っているようだが本人は面白がって笑っている、という独特のノリをそういうものかと受けとめる体勢(耐性)ができるのですが、初めて接する人はやっぱ怒っていると感じるんだ……。でもそこのギャップが対談で一番面白かったと素直に言っちゃう前野先生もかなりぶっ飛んでますね。とにかく、人によっていろんな読みどころが発見できる良著だと思いますので、未読の方はぜひどうぞ!

【電書】1998年に大法輪閣から刊行され、20年近く読み継がれてきたロングセラーが電書になりました。「心の成長」がブッダの教えの核心であることを多角的に説いた仏教入門書です。いま読んでもまったく古さは感じません。世紀の変わり目に本書を読み、まさに「常識が一変」した思いがして、当時は目白にあった協会事務局に電話をかけたのは僕です。

【電書】日本テーラワーダ仏教協会の月刊機関誌『パティパダー』長期連載中の「釈尊の教え・あなたとの対話」をテーマ別に再編集したQ&Aシリーズの第一弾。AmazonKindle用電子書籍オリジナル企画です。毒舌とやさしさと力強さがコンボで降り注ぐスマナサーラ長老のQ&Aはまとめて読むと迫力も倍増です。きっと人生に立ち向かう勇気が湧いてくると思います。内面に向き合う人のための「こころ編」は年始早々に第2巻が刊行予定。以下、対人関係に関する悩みを集めた「人間関係編」、子供についてのあれこれ「教育編」、より良く生きるためのヒントが詰まった「ライフハック編」が出版に向けて鋭意準備中です。

↓※「こころ編2」予約受付しております!

……

……… (゚∀゚)アヒャ

……

というわけで駆け足で紹介してきましたが、手抜きして記事一本にまとめようと思ったら大変なことになったわ、という感じです。徐々に原始書籍から電子書籍に軸足を移しつつありますが、来年も楽しくてためになる仏教書づくりに励んでいきたいと思います。

それでは、皆様よいお年を!(^^♪

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

(私の心の汚れが徐々に無くなりますように)

2017年第二回「ひじる仏教書大賞」を発表

はい。放逸に耽っている間に12月30日になってしまいましたが、昨年に引き続き、2017年第二回「ひじる仏教書大賞」を発表したいと思います。

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………… (゚∀゚)アヒャ

………

……

受賞作は、

星飛雄馬『60分でわかる!仏教書ガイド』

Kindle版,Evolving

60分でわかる!仏教書ガイド

60分でわかる!仏教書ガイド

 

です。電子書籍としては日本初の仏教書ガイドだと思います。紙の本含めても、単著としては極めて珍しいお仕事です。勝手に押しつける副賞もなんもない賞ですが、

おめでとうございます。(^^)/

同書の内容については、すでに当ブログで詳しく紹介しております。

naagita.hatenablog.com

記事文中にもあるように、「これ自分だったらどんな選書にするかな? どんな本を入れたらいいかな?」と触発されるところが大きかったのが、授賞理由ですね。読んでワクワクする本というのは、なかば仕事で読むことの多い仏教書ではなかなか出会えませんから。

星さんは仏教のみならず、映画や海外ドラマの話、政治の話(スタンスはかなり異なるが)などを延々とし続けられる友達なので、身内感出ちゃうのはどうだろう……という躊躇もありましたが、関係性を度外視してもちゃんと褒めるべき仕事だろうと思った次第です。

昨年の受賞作、『近代仏教スタディーズ』もリアルで面識ある方が数多く執筆されていましたからね。ま、狭い業界なので気にしない。(^^;

naagita.hatenablog.com

『60分でわかる!仏教書ガイド』は、1990年代にアルボムッレ・スマナサーラ長老はじめとした「テーラワーダ仏教系」の書き手が参入したことで書棚の構成含めてガラリと変わってしまった仏教書ジャンル、さらにAmazonKDPを通じた電子書籍オリジナルの仏教書文化が花開き始めたここ数年のトレンドをも踏まえて、本を通じた仏教の学びを深めていくためのいまのところ最良のガイドになっていると思います。

玉に瑕なのは、「60分で分かる!」というタイトルですかね。「仏教の今がこの一冊で分かる!」とかのほうが良かったんじゃないかな?

ネットの仏教書レビューといえば、ソコツこと碧海寿広さんが(局地的に)知られています。

higan.net

ただ、管見では業界の人間関係に気を使った八方美人的選書が目立つように思われる(実名ばれ以降は特に)ので、求道者としての傾きを隠さない星さんの選書のほうが個人的には好きですね。今後とも、第二弾、第三弾、あるいはこちらの仏教書ガイドをアップデートするなどして、我々を仏教書のスパルタの海へと叩き込んでいただきたいと思います。

単著以外でも、昨年出たサンガジャパンVol.23 特集「この仏教書を読め!!」のようなブックガイド企画は定期的に読んでみたいものです。

サンガジャパンVol.23 特集「この仏教書を読め!!」

サンガジャパンVol.23 特集「この仏教書を読め!!」

 

個人的にもブックレビュー・書評というのは書いていて楽しいジャンルです。小学生の時分、読書感想文コンクールに毎年応募していましたし……。過去に商業誌などに寄稿した文章は以下に公開しています。星さんの本と併せて正月から春にかけての読書の参考にしていただければ幸いです。

note.mu

というわけで、「ひじる仏教書大賞」はなんとか決まりましたが、今年の振り返り的な記事にはまだ手を付けられていません。大晦日にざざっと公開できればいいんですが……。期待せずにお待ちください。

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

吉村均『空海に学ぶ仏教入門』ちくま新書(2017年に読んだ仏教本より)

Twitterで書き散らしていた読書メモまとめ。その4は吉村均『空海に学ぶ仏教入門』ちくま新書です。

空海に学ぶ仏教入門 (ちくま新書)

空海に学ぶ仏教入門 (ちくま新書)

 

空海の教えにこそ、伝統仏教の教義の核心が凝縮されている。弘法大師が説く、苦しみから解放される心のあり方「十住心」に、真の仏教の教えを学ぶ画期的入門書。

弘法大師空海が『大日経』をもとに体系化したといわれる「十住心」の解説という形で、日本に伝来した諸々の(北伝)仏教の教えを概説していくというユニークな(しかし近代以前にはわりと定石だったかも知れない)仏教入門書です。テーラワーダ&初期仏教びいきの人が読んでも勉強になる、仏教の芯をしっかり掴んだ本だと思います。

終章に出てくる東京から金閣寺に旅行する話とか、譬え話も上手です。たとえ話が上手ということは、著者が難解な仏教用語のカセット効果(柳父章)に頼らず、きちんと内容を理解している証拠ですからね。

途中、道元の「修証一等」や親鸞の「悪人正機」といった論争的なキーワードについても、さらっと穏当で解毒的な解説をしていてニヤッとさせられます。宗派によって変異の激しい概念やテクニカルタームを整理整頓していく手さばきは巧みで、さすが真言宗は総合仏教だなと感心させられます。

いわゆる部派仏教の系譜に触れる際も、「小乗」という差別語を避け声聞乗などの語を用いており、さらにそれが北伝仏教における論争を前提とすることも明記しています。現存するテーラワーダ仏教上座仏教)と雑に混同しないよう気をつけているのも読み取れます。

近代仏教学でネグられり曲解されたり散々だった「輪廻と業」の問題を誤魔化さずに論じているのは偉いし、輪廻否定の戦犯である和辻哲郎の過ちを正しつつ、いいところは掬い上げているのも偉いと思います。大人な態度だわぁ。

ただ、チベット仏教の伝承である「龍樹(龍猛)は600年生きた」説がやけに強調されてたり、密教に顕著なグルイズム的傾向への批判的視点が感じられなかったり、という点はちょっと不満でした。ご本人は真言宗の人だから仕方ないっちゃ仕方ありませんが……。

近代以降の仏教学者やそれに影響受けたインテリ僧侶にありがちですが、「仏教と他宗教との共通するところを「非仏教」として切り捨てていったら誰も仏教を実践できなくなっちゃうYO! 」という著者のツッコミは尤もだと思います。

しかし、神仏習合に端的に現れている土着宗教に接続する形での仏教伝道の戦略が、大陸における道教や新儒学の台頭、日本における神道の自立などによって破綻したことを考えると、「仏教は心の科学」(スマナサーラ長老)という非宗教・脱宗教的な伝道戦略にシフトしたほうが妥当なのではないか、という気もします。

それは仏教が科学に隷属することではなく、かつて専ら宗教に取付けていた「出世間」へのアクセスポイントを科学にも設置しようということです。

話は脱線してきましたけど、そういえば密教のルーツってもしかして「律」文献にあるのではないか?……とボンヤリ思ってるんですけど、そういう先行研究ってありますかね? ゆる募。「蛇除けの呪文」がどうとかじゃなくて、もうちっと教えを秘匿すべきロジックみたいなところの話です。(あ~、もう帰ってこれない。終わります。)

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

 

桜井哲夫『一遍 捨聖(すてひじり)の思想』平凡社新書(2017年に読んだ仏教本より)

Twitterで書き散らしていた読書メモまとめ。その3は桜井哲夫『一遍 捨聖(すてひじり)の思想』平凡社新書です。

一遍 捨聖の思想 (平凡社新書)

一遍 捨聖の思想 (平凡社新書)

 

仏教のなかで「浄土教」という教えがどのように形成されてきたのか、インド、中国、日本へと繋がる系譜をたどりながら、その流れのなかで「一遍と時衆」の思想を再考しようという試み

第1章:浄土教のルーツを求めて 第2章:日本における浄土教の展開 第3章:一遍と時衆 第4章:「一遍上人語録」を読む、という構成。詳細目次は版元ページに載ってます。

www.heibonsha.co.jp

再来年が一遍亡き後時宗(時衆)教団を結成して二祖真教(他阿)の入寂から700年に当たるので、一遍と時宗に関する出版が増えるようです。高校時代からの一遍好きとしては嬉しい限りで、本書も楽しく拝読しました。(なんせ仏教書ベスト3に『一遍上人語録』を入れてますからね。)

note.mu

日本史の流れの中で浄土宗や真宗に概ね吸収されてしまった多様な阿弥陀信仰と「聖(ひじり)」の系譜をインドから続く2000年以上の宗教思想史に位置づけようという企図は素晴らしいと思いました。

第2章では最近の研究を踏まえ、親鸞の出自(源頼朝の親類説)や結婚歴(玉日姫論争)についてまで詳しく紹介されています。また、最近、講談社学術文庫に入った竹村牧男『親鸞と一遍 日本浄土教とは何か (講談社学術文庫)』も複数回引用されてます。僕も読みましたけど、碩学にしてはなかなかエモい浄土教論でしたね。

それに対して、一遍に直接的な影響を与えたはずの証空(證空)と西山義(西山浄土宗浄土宗西山派との関係については記述があっさりしすぎているように思います。一遍は思想的に西山義(証空の思想)を乗り越えた、という結論だけが強調されます。

しかし、第4章で一遍語録から「念仏の下地をつくる事なかれ」の言葉が引かれています、この言葉は證空の「白木念仏法語」(『法然上人絵伝』収録)と強く響きあっていると思います。

naagita.hatenablog.com

一遍の思想に証空とその教えがどう影響を与えたのか? 親鸞の嫁さんの話なんかよりそっちを詳しく知りたかったというのが正直な感想です。

これは一遍の思想というより仏教の基礎知識ですが、第4章の「百利口語」解説(p190)で、生老病死の四苦のうち生苦について「生きる苦しみ」と誤った説明をしているのが大変気になりました。

生苦(jātidukkha)の正しい意味は、「生まれる苦しみ」あるいは「生まれることの苦しみ」(大辞泉)です。江戸時代に編纂された注釈書、俊風『一遍上人語録諺釋』(大日本仏教全書66巻)でも当該箇所は「生まれる苦しみ」であると注釈されています。

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これは単純ミスと思うので、増刷時に訂正を願いたいところです(未確認)。仏典の説明では、生苦とは「生命は受胎してからずっと胎内で激しく苦しんで、胎外に排出されるときも激しく苦しんで、出産後も胎内との環境変化でまた激しく苦しむ」ことです。『法苑珠林』の説明はなかなかエグいです。

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~生きとし生けるものが幸せでありますように~

 

おまけ:

『サンガジャパンvol.27 特集「禅」』(2017年に読んだ仏教本より)

Twitterで書き散らしてた読書メモまとめ。その2は『サンガジャパンvol.27 特集「禅」』です。

禅ー世界を魅了する修行の系譜ー(サンガジャパンVol.27)

禅ー世界を魅了する修行の系譜ー(サンガジャパンVol.27)

 

『サンガジャパンvol.27 特集「禅」』では、アルボムッレ・スマナサーラ長老の連載「パーリ経典解説3 スッタニパータ(経集)第五「彼岸道品」二、ティッサ・メッテイヤ仙人の問い」で構成を担当しました。注目の特集「禅」はどの記事も読み応えありましたよ。

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特集記事は、スマナサーラ長老と藤田一照師対談「テーラワーダからみた禅」(連載第一回)から始まって、デイヴィッド・チャドウィック「鈴木俊隆老師とビートニクの詩人たち」、鈴木老師のご子息である包一師インタビューは歴史の証言として貴重なものです。

円覚寺管長の横田南嶺インタビュー「求道と救済」では、横田師が日本の仏教者には珍しく「戒(シーラ)」の意味をしっかり捉えていることに唸らされました。後半『延命十句観音経』の話になると、なんだかなぁと微苦笑しちゃったけど……。(;^_^A

井上貫道師インタビュー「決着がついたら自由になる」は本当に味わい深く、星飛雄馬さん「井上義衍老師伝」も大変勉強になります。それから臨済宗では妙心寺派の細川晋輔師インタビューも興味深かったです。公案にガチで取り組むとはどういうことか、語られていて面白い。また、曹洞宗では年上僧侶への敬称程度になっている「老師様」が臨済禅でいかに重要で大切にされているかと強調しています。

次に出てくる人間禅とかいうのは……う~ん、反面教師としか言いようがないですな。

中村龍海「”ZEN”の起源」、星飛雄馬「禅ブックガイド」で特集記事は手堅く終了。連載記事は自分の担当以外はあまり興味を惹かれないので論評を控えておきます。しかし、経典どころかスリランカの史書までも完全無批判に文字通り信じ込もうとしてる藤本晃さんの筆致には、一抹の心配を感じます。(最近、佐々木閑×宮崎哲弥『ごまかさない仏教』で名指し批判されとりましたが……)

naagita.hatenablog.com

今回の特集記事を全体的に俯瞰すると、いわゆる禅宗の最大宗派である曹洞宗が(井上師などの傍系を除いて)修証一等という道元思想のミスリードで自縄自縛となり、「おすわりワンコ教団」(某師談)に堕しているところを何とかしたい藤田一照師とスマナサーラ長老が肝胆相照らしたところで、ようやく日本でも光があたった鈴木俊隆師の米国での軌跡をたどり、日本にいまも脈々と生きづく「元気な禅」の姿を紹介していくという流れかな? サンガジャパンvol.27 特集「禅」とてもいい企画だったと思います。

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

佛教史学会編『仏教史研究ハンドブック』法蔵館(2017年に読んだ仏教本より)

Twitterで書き散らしてた読書メモを年末に向けてまとめたいと思います。2017年に読んだ仏教本の記録として。まずは佛教史学会編『仏教史研究ハンドブック』法蔵館です。

仏教史研究ハンドブック

仏教史研究ハンドブック

 

インド、アジア諸国・地域、中国、朝鮮半島、日本の仏教の歴史と教義がつめこまれた便利でコンパクトな一冊。仏教史を学び始めたい人、幅広く知りたい人に最適!

版元ページに詳細目次が載ってます。

www.hozokanshop.com

これはすごい。日本仏教編では第4章がまるまる「日本近代」とな。20年前だったら想像だにつかない研究トレンドの変化っすな。(^^♪

その一方で、第1部第1章「インド」は日本その他仏教圏で用いられた”素材”としての仏典編纂史をなぞっているだけで、インド仏教の展開を通史的に捉える視座は皆無。勿論アンベードカルによる近代仏教復興運動は本文でも巻末年表でもガン無視。第1部第2章「アジア諸国・地域」も、やけにあっさり。

第2部「中国」「朝鮮半島」は日本への影響が大きい地域だけにバランスよい概説になっていると思う。まだまだざっと眺めただけの印象だけど、分野ごとの記述の偏りを感じ取るだけでも、現代日本の研究者たちが仏教史にそそぐ眼差しのありさまが伝わってきて面白い読み物です。

ちなみに第3部「日本」第4章「日本近代」(3)「異文化接触」 3「来日仏教徒」を吉永進一先生が執筆されているのですが、参考文献欄に拙著『大アジア思想活劇』サンガ,2008 を挙げて下さっています。いつもありがとうございます。m(_ _)m

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島田裕巳『天皇は今でも仏教徒である』サンガ新書 象徴天皇の「菩薩行」とは?

島田裕巳さんの新刊『天皇は今でも仏教徒である』サンガ新書、読みました。

天皇は今でも仏教徒である (サンガ新書)

天皇は今でも仏教徒である (サンガ新書)

 

これまで天皇が、自らの信仰は仏教であると公言したことはない。しかし、明治に入るまで、天皇の信仰の中心にあったのは仏教にほかならない。古代から中世にかけて、代々の天皇は仏教に対する強い信仰を持っていた。代々の天皇の熱心な信仰がなかったとしたら、果たして日本の社会にこれだけ仏教は浸透したであろうか。天皇の仏教信仰は、個人的な次元にとどまらず、日本社会全体に多大な影響を与えたのである。天皇が象徴行為を模索した背景には、仏教を信仰して菩薩行に励んだ光明皇后貞明皇后がいるのではないか。天皇と仏教との関係は深い。その関係がいかなるものか、本書において明らかになる。

主要目次:

1 近代が大きく変えた天皇の信仰
2 なぜ天皇は仏教を選んだのか
3 仏教にのめりこむ代々の天皇
4 天皇と仏教界の深い結びつき
5 なぜ天皇は仏教の信仰を失ったのか
6 近代の天皇と宗教
7 象徴天皇の菩薩行

◆よいところ

「歴代天皇と仏教信仰」あるいは「皇室と仏教」という、あまり触れられることのなかった日本史の太い縦糸を古代から近代まで通史的に概観できる、便利でありがたい本だと思います。去年の「ひじる仏教書大賞」に輝いた『近代仏教スタディーズ: 仏教からみたもうひとつの近代』法蔵館でも、天皇あるいは皇室と仏教の関係を扱う項目は見事に抜け落ちていましたからね。

近代仏教スタディーズ: 仏教からみたもうひとつの近代

近代仏教スタディーズ: 仏教からみたもうひとつの近代

 

ネットでも内容の一部が読めます。

president.jp

◆いまいちなところ

ただ、新書という制約はあれど、肝心の表題「天皇は今でも仏教徒である」の論証はちょっと弱いので、状況証拠をもっと提示してほしかったところです。基本的には山口百恵は菩薩である」というのと同じ類の願望含みの断定(当時のノリはよく知らんけど)から脱しきれていない気もしました。

史記述についても不満がのこります。明治維新の際、還俗の圧力に抗して仏教信仰を貫いた日榮尼ら3人の皇族出身女性についてまったく触れられていないのは(ページ数の制約のせいでしょうが)いささか寂しく思いました。かなり劇的で盛り上がるエピソードのはずなんですけどね。

naagita.hatenablog.com

昭和天皇と仏教との関わりについても、具体的な記述は見当たりません。しかし昭和天皇最晩年の御製「夏たけて堀のはちすの花みつつ仏のをしへおもふ朝かな」はよく知られていますし、日本の敗戦に際して天皇仁和寺で出家(退位)させて戦争責任追及を免れようという珍妙な計画が練られた話も昭和史マニアには有名です。そのへん、あっさり割愛されているのはなぜだろうと首をかしげてしまいました。

実は、かつてスマナサーラ長老と一緒に伊勢神宮を参拝した際にガイドしてくれた神宮広報の方が、昭和天皇は晩年には仏教に惹かれていたとやけに強調されていた(リップサービスかも知れませんが、神宮と仏教の深い関係を詳しく説明してくれました)ことが記憶に残っていたので、ちょっと肩透かしを食らった感じがしました。

◆象徴天皇の「菩薩行」とは?

現代の天皇は「主権の存する日本国民の総意に基く」(日本国憲法第一条)日本国の象徴です。いまの天皇の信仰について論じた(想像をたくましくした)最終章は「象徴天皇の菩薩行」と銘打たれており、日本人の宗教観(日本国民の総意)のありかを問い直す射程の長い考察になっています。味わって読みたいところです。

平和憲法を体現した象徴としての天皇の行為(被災地への見舞い、追悼と慰霊の旅など)を「菩薩行」と位置づけた島田さんの結論は、決して奇をてらったものと言い切れないでしょう。ただ、いまの天皇の行動に仏教の影響を見出そうとするならば、美智子皇后の思想や交友関係について、もうちょい触れてほしいと思いました。

僕の乏しい知見から具体的に挙げるならば、美智子皇后鶴見和子南方熊楠研究)、そして鶴見和子との縁で引き合わされた石牟礼道子(『苦界浄土』)と美智子皇后の交流に言及することは避けてはならないのではないかと思います。

水俣における菩薩の「授記」

2013年10月に実現した、天皇皇后と水俣病患者たちとの会見と対話は、鶴見和子を偲ぶ会で皇后と隣り合わせた石牟礼道子が、皇后宛に送った手紙がきっかけとなったものでした。その経緯は、高山文彦『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子講談社で詳しく検証されています。(ただし、高山さんの本では「美智子皇后と鶴見〔和子〕のつながりはどのようなことかわからないが」とあっさり流していて、ズッコケました。そこ、大事なとこと違うんかい!)

ふたり 皇后美智子と石牟礼道子

ふたり 皇后美智子と石牟礼道子

 

水俣病患者資料館語り部の会会長である緒方正実さんの講話に耳を傾けた天皇は、緒方さんの顔をじっと見て、このように自ら言葉を発しました。

「ほんとうにお気持ち、察するに余りあると思っています。やはり真実に生きるということができる社会を、みんなでつくっていきたいものだとあらためて思いました。ほんとうにさまざまな思いをこめて、この年まで過ごしていらしたということに深く思いを致しています。今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています。みながその方向に向かって進んでいけることを願っています」

news.kodansha.co.jp

天皇の言葉に出てくる「真実に生きる」とは、緒方正実さんの講話の内容を受けたものですが、これはもう般若波羅蜜の宣言ではありませんか!*1

島田裕巳さんの仰るように、天皇が「菩薩行」を志向しているのだとするならば、天皇がそれをはっきり自覚したのは、この水俣への旅だったのではないかと思うのです。菩薩として生きる決意を固めた天皇と皇后の面前にいたのは、大乗仏教の言葉を使うならば「代受苦の菩薩」とも言うべき人々だったのではないでしょうか?

教理学的にはあり得ないことなので、あえて文学的表現として言いますが、天皇に菩薩としての授記を与えたのは、人間の尊厳をかかげ闘い続けた彼ら「代受苦の菩薩たち」だったのです。

いまの天皇の父である昭和天皇の戦争責任、水俣病の惨禍を引き起こした公害企業チッソと皇室との深い人的関係などを思うならば、天皇と皇后の「菩薩行」が雲上から民衆に慈悲や救いの手を差し伸べる「衆生救済」という姿勢で実践できるものであり得ないのは明白でしょう。

ですから、象徴天皇の「菩薩行」とは、市井に生きる「代受苦の菩薩たち」への礼拝行(菩薩が菩薩を礼拝する)に他ならないのではないか、と調子に乗って拡大解釈したくなるのです。

◆妄想ヤバイ!

( ゚д゚)ハッ! ……あんまり妄想を拡げすぎると最近の柄谷行人みたいなあれな感じになるので、もう止めましょうね。自らを語ることを極端に制限された天皇について、あれこれ願望や妄想を投影するのは、なかなか罪深く危険なことです。

いずれにせよ、本書の大雑把な問題提起を呼び水として、近現代の天皇や皇室と仏教の関係を解明する研究者が現われることに期待したいと思います。というわけで、島田裕巳天皇は今でも仏教である』サンガ新書、大いに思考(妄想)が触発される新書本でした。読んで、それぞれ考えてみましょう。

 

追記:本書でも参考文献に挙げられていたと思うけど、『史淵』149号に載っている山口輝臣『天皇家の宗教を考える : 明治・大正・昭和』(pp. 21-47, 2012-03-09. 九州大学大学院人文科学研究院)は、近代化以降の皇室と仏教の関係を知る上で必読ですね。九州大学附属図書館HPからPDFを読めます。

天皇家の宗教を考える : 明治・大正・昭和 | 九大コレクション | 九州大学附属図書館

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

*1:もちろんパーリ仏教の十波羅蜜における真諦波羅蜜 Sacca pāramī のほうが相応しいと思いますけど、知名度が……