note(ノート)に過去記事をまとめてみた。

過去に商業誌やムック、新聞、雑誌などに寄稿した仏教仏教書がらみの原稿をnote(ノート)にまとめてみました。他にもあるけど、追々拡充したいと思います。いまのところラインナップは以下の通り。

 

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スマナサーラ長老ベストブックガイド 100冊から厳選!これだけは読んでおきたい(2011年)/「仏壇」に吹き込んだ新しい風 日本仏教に「原点回帰」を促すブックガイド(2011年)/たかが仏教、されど仏教 ~日本人の思考のルーツを旅する8冊~(2002年)/ウパーシカー仏教の誕生 在家女性信者のこれから(2013年)/改訂「キリスト教仏教か」(2009年)……という感じで、今世紀初頭からの一般向け仏教書のトレンド変化がわかる読み物になっていると思います。

 

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日本におけるダルマパーラ、野口復堂、釈雲照、島地黙雷井上円了、南條文雄、清沢満之高楠順次郎大谷光瑞、多田等観、河口慧海、釈宗演、鈴木大拙、田中智学、姉崎正治宮沢賢治、妹尾義郎、……という17人の評伝です。近代仏教史を調べるとぶち当たる重要人物の半分くらいはカバーしてますかね?

 

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こちらは既出。さとりと解脱、四聖諦、中道、八正道、因果法則と縁起、無常・苦・無我、戒律、修行、慈悲、空、業、輪廻、仏教の宇宙観、地獄と極楽、出家と在家、菩薩、上座部と大乗、六波羅蜜、密教、ジャータカ、ブッダの生涯、……という21項目にわたって、仏教の基本キーワードを解説しています。

 

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日本におけるアナガーリカ・ダルマパーラ

久しぶりに「ダルマパーラ」でネット検索してみたら、意外と情報が薄かった(HP版の『大アジア思想活劇』を閉鎖した影響が大きいのかな?)ので、以前佼成出版社の『新アジア仏教史』14巻に寄稿した拙稿「日本におけるダルマパーラ」を公開したいと思います。

近代国家と仏教 (新アジア仏教史14日本?)

近代国家と仏教 (新アジア仏教史14日本?)

 

日本におけるダルマパーラ 佐藤哲朗

アナガーリカ・ダルマパーラ(Anagarika Dharmapala 一八六四〜一九三三)はスリランカ(英領セイロン)に生まれた仏教者である。アナガーリカとは本来「出家者」を意味する言葉だが、彼は正式な得度儀式を受けず、有髪のまま黄色い袈裟をまとい、禁欲清浄行を守りながら仏教伝道と社会的実践に従事した。スリランカは比丘戒の伝統が厳守されるテーラワーダ仏教上座部仏教)の国だが、ダルマパーラは晩年まで非僧非俗の「破格の仏教者」として東奔西走し、西欧列強による支配と近代化の歪みの中で自信喪失していた内外の仏教徒を鼓舞し続けた。

ダルマパーラが掲げたスローガンは「仏教世界の連合(United Buddhist World)」であった。他の仏教国に先駆けて近代化した日本に、彼は生涯にわたって強い期待をかけた。ダルマパーラは四度にわたって来日し、平井金三、高楠順次郎、釈雲照、釈宗演、鈴木大拙、田中智学など多くの日本人仏教者と交流をもった。ヒンドゥー教徒に管理されていた釈尊成道の聖地、インド・ブッダガヤを奪還するべく、日本の仏教者と共闘した時期もある。

一八八九年二月、ダルマパーラは神智学協会会長のH・S・オルコット大佐の随員として、野口復堂に伴われて初来日した。神智学協会はキリスト教に圧迫されるスリランカ仏教の復興を支援し、大きな成果をあげていた。オルコットの名声は日本にも届き、同じくキリスト教徒の攻勢に危機感を抱く平井金三ら仏教徒グループが彼を招聘したのである。京都の知恩院で、満場の観衆を前に朗々としたパーリ語三帰依五戒を唱える白人仏教徒の姿に、日本人は度肝を抜かれた。オルコットの公開演説会は全国三十三都市で七十六回を数え、述べ二十万人近くを動員した。オルコットはスマンガラ大長老の親書を携えたスリランカ仏教の公式使節であり、彼の来日によって南北仏教の相互交流が本格化した。一方、ダルマパーラは寒さのため神経痛に冒され、長く病床に伏していた。そこで熱心に看病した青年仏教徒の一人が高楠順次郎(当時の澤井洵)で、二人は終生変わらぬ友となる。小康状態を得たダルマパーラは、何回かの演説会に出席した。彼は植民地下に暮らす仏教徒の窮状を訴え、仏教復興がシンハラ民族の尊厳を回復し、英国支配からの解放を実現するべきことを宣言して聴衆の同情と喝采を集めた。

二度目の来日は一八九三年十月、アメリカ合衆国シカゴで開催された万国宗教会議(同年九月)の帰路であった。釈宗演、土宜法龍、野口復堂ら日本代表団と同行した彼は、アメリカにおける「初転法輪」成功の余勢をかい、「大菩提会 (Maha Bodhi Society) 」を通じたブッダガヤ聖地奪還への協力を訴えかけた。ダルマパーラが持参したブッダガヤの石仏は東京芝の天徳寺で開帳され、多くの参詣者が詰め掛けた。また村上専精、織田得能らと南北仏教の相互理解のための討論会も開催した。この来日時に天徳寺住職より寄贈された阿弥陀如来坐像は、ブッダガヤ奪還運動の象徴となる。ダルマパーラは「日本の仏像」をブッダガヤに奉安せんとしてヒンドゥー教徒らの妨害を受け、その報せに日本の仏教徒が激高したことで外交問題にもなった。

一九〇二年四月、三度目の来日を果たしたダルマパーラは「活動仏教」を提唱し、出家者主体の仏教の停滞を批判して、在家信徒や青年仏教徒の奮起を促した。彼の来日を契機として、同年五月、東京の高輪仏教大学に「万国仏教青年連合会」が発足される。平井金三・桜井義肇らと「日印協会」設立にも尽力し、日本とインド圏の関係促進を図る民間外交使節の役回りを演じた。彼は同年二月に日英同盟が締結されたことに触れ、「この際を機として欧米人の間になお存する種族的嫌忌の念を去らしめ、一面アジアの同胞をその不幸より救うは覇を太平洋上に握る日出帝国の任務に非ずや」(『中央公論』一九〇二年六月号)と期待を述べている。さらに国柱会の田中智学と長時間にわたり会見し、相互の仏教観を正面からぶつけあい、仏法興隆によるインド解放と世界統一のビジョンを語り合った。英国支配からの自立に向けて運動を先鋭化させつつあったダルマパーラは、スリランカの多数派シンハラ民族のアイデンティティは仏教と不可分だと強調した。後に彼は「シンハラ仏教ナショナリズム」のイデオローグと称される。

一九一三年四月に最後の来日をしたダルマパーラは、日本の仏教界から冷遇された。明治後期の革新的な仏教運動は、大正時代に入るまでにはほとんどが廃れ、日本仏教界に彼の受け皿は無くなっていた。当時の仏教新聞は、ブッダガヤ復興の資金集めなどに関する醜聞を書き立て、ダルマパーラを「世界的詐欺師、仏教破壊者」(『中外日報』五月九日号)と攻撃した。ダルマパーラは仏教者としてよりむしろ、アジア解放を訴える「インドの志士」として迎えられた。彼は各地の講演で、欧米での排日の風潮や、黄禍論の横行を激烈に批判し、日本統治下にあった朝鮮や満州も視察してその発展ぶりをしきりに称賛した。彼は「汎アーリア主義」的な文明観に立って、「日本がアジア人種の運命を導いてゆくことは、その優れた地位ゆえ完全に正当化される」(Maha Bodhi Journal,1913.9,Vol.21 No.9)とまで述べた。

二年後、ダルマパーラはスリランカの暴動事件(セイロン暴動)を扇動した嫌疑でカルカッタに五年間にわたり軟禁され、実の弟は獄死した。晩年には病苦との闘いも激しさを増していった。

一九三一年十一月、釈尊初転法輪の地サルナートにムーラガンダクティー精舎(根本香室精舎)が建立されると、大菩提会は仏伝壁画の揮毫を日本人画家に依頼してきた。一九三二年十一月に渡印した野生司香雪が、ついにブッダガヤの「降魔成道図」を描き終えた時、ダルマパーラは「アゝこれで宿望を達した」と述べたという。一九三三年四月二十九日、来世も仏教のために生きようと念じながら、ダルマパーラは客地インドでその生涯を閉じた。

アナガーリカ・ダルマパーラと日本との関係については、拙著『大アジア思想活劇 仏教が結んだ、もうひとつの近代史』(サンガ)に詳しいので、興味のある方はぜひお読みください。

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史

 

追伸:ダルマパーラと同時代を生きた日本近代仏教史の人物 について、以下のページで列伝風に紹介しています。よろしければ併せてご覧ください。

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近代仏教スタディーズ/仏教をめぐる日本と東南アジア地域/『スッタニパータ』と大乗への道

最近、献本いただいた書籍を紹介します。

近代仏教スタディーズ: 仏教からみたもうひとつの近代

近代仏教スタディーズ: 仏教からみたもうひとつの近代

 

最近盛り上がりを見せている近代仏教研究の最新成果を29人もの研究者がよってたかって紹介するという入門書的な作品です。まだカオスなところもある分野だけに、「迷宮散歩」への誘いだと編者の吉永進一先生も仰ってます。その吉永先生の「はじめに」から一文字&コマの無駄もない知の宝庫だと思います。あと、人物相関図に出てくる数々の似顔絵(宗教学者の内藤理恵子さん作)が、イメージを豊かにする上でもすごくいい効果をあげています。図書コーナーでは、拙著『大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史』も取り上げて頂いてます。仏教への興味は薄くても、近代史や広く人文科学全般に関心がある人ならば、マストバイでしょう。 

主要目次:第1章 「近代仏教」とは何か?(「近代仏教」を定義する 日本の近代仏教の特徴とは? ほか)/第2章 近代日本の仏教史をたどる(近代の衝撃と仏教の再編―幕末・維新期 “新しい仏教”のはじまり―明治期 ほか)/第3章 よくわかる近代仏教の世界(グローバルに展開する 学問と大学のなかで発展する ほか)/第4章 近代仏教ナビゲーション(初心者のための人脈相関図 初心者のためのブックガイド ほか) ※詳細目次は版元ページに載っています。

仏教をめぐる日本と東南アジア地域 (アジア遊学 196)

仏教をめぐる日本と東南アジア地域 (アジア遊学 196)

 

「日本と現在の世界趨勢を築いた過去一五〇年間に東南アジア地域に関わった日本人仏教者の動向を軸にして、仏教をめぐる人と社会、地域間の動態と推移を総合的にとらえることが本誌の目的である。」序文(大澤広嗣)

こちらも近代仏教に関する共同研究の最新成果です。テーラワーダ仏教圏でもある東南アジア地域と日本仏教がどう関わっていたのか? 現代日本におけるテーラワーダ仏教の広まりの背景を知るうえでも重要な著作だと思います。その観点から必読なのは小島敬裕「ミャンマー上座仏教と日本人―戦前から戦後にかけての交流と断絶 」と藤本晃「テーラワーダは三度、海を渡る―日本仏教の土壌に比丘サンガは根付くか」です。前者の論考では、ヴィパッサナー瞑想ブーム以前にミャンマーのマハーシ長老から直接冥想指導を受けた日本人僧侶たちのその後を追っているのですが、ほんの数十年前の近過去と現在で、テーラワーダ仏教への関心の動機づけががらりと変わっていることに驚かされます。後者は、釈興然らの上座仏教日本移植の試みなどを概観しつつ、スマナサーラ長老の活動の意味を現在進行形で考察する参与観察的なレポートです。藤本師はそれで自坊が宗派離脱するところまで行っちゃったんだから、”参与”するにもほどがありますが。目次は版元ページに載ってます。

『スッタニパータ』と大乗への道

『スッタニパータ』と大乗への道

 

龍樹に関するユニークな研究で知られる石飛道子先生が『スッタニパータ』の第四章「八偈品」 を新たに訳しつつ読みこんだ作品です。パーリ語の文法用語なども出てくるので仏教書読みの中級者がターゲットかもしれませんが、著者のガイドに沿ってブッダの直説に触れていくうちに心が静寂になっていく素晴らしい読書体験でした。「法にしたがった法の実践ということを特に意識して」読み進める著者の真摯な姿勢がそうあらしめたのでしょう。2回通読しましたが、これからも折に触れて読み返す本になると思います。ただ、タイトルにも入っている「大乗への道」云々の記述は、著者のこだわりとしては分からなくもないし、大乗仏教関係者にとっては慰めと励ましになるでしょうけど、「八偈品」 そのものを味わううえでは割とどうでもいいようにも感じたのも事実です。それにしても、以下のような冴えわたったコメントにはため息が漏れます。必読です。

「見たこと、聞いたこと、戒や行や、考えたことについてあらゆることが捨てられると、どうなるのか、ということが、ブッダのこの経典のことばを通して、みなさまの心に伝わるでしょう。残ったものは、何でしょうか。何も残さないブッダ。しかし、わたしたちの心にはブッダの行道すべてが残ることでしょう。」(216-217p)

主要目次:1 「八偈品」について(「八偈品経」と「義品経」 部派への道「八偈品」 大乗への道「義品」 大乗との連関 『スッタニパータ』の「スッタ(経)」について ほか)/2 「八偈品」訳と解説(欲経(Kamasutta) 洞窟の八(偈)経(Guhatthakasutta) 悪しきことの八(偈)経(Dutthatthakasutta) 清らかなことの八(偈)経(Suddhatthakasutta) 最高のことの八(偈)経(Paramatthakasutta) ほか)

 

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スマナサーラ長老のkindle本新刊3冊『仕事でいちばん大切なこと』など

スマナサーラ長老著作kindle版の新刊3冊を紹介します。

仕事でいちばん大切なこと

仕事でいちばん大切なこと

 

2009年にマガジンハウスから出た本をEvolvingから電子書籍として出し直しました。内容は、長老がビジネスマンの悩みにズバリ答えたQ&A集です。初対面の相手に緊張してしまう。隣に座っている同僚がどうも苦手だ。朝、起きるのがつらい。仕事に目的意識が持てない。お金の使い方が分からない。いまの仕事が「ほんとうの仕事」だと思えない、グローバリゼーションってなに……といった、働く人なら誰でも抱える日々の悩みや疑問を、どう解決すればいいのか。「ビジネスマンをパワーアップするヴィパッサナー瞑想」「生きるのが楽になる慈悲の瞑想」のマニュアルも掲載しています。春のこの時期にはぴったりの本ではないでしょうか?

主要目次:第1章 人間関係は仏教に学べ /第2章 今日一日を生き抜くために/第3章 あなたをパワーアップする瞑想法/第4章 ビジネスマインドを磨く

協会刊のロングセラーをkindle化。タイトルに引かれたダンマパダ(法句経)の一節から展開される人生論です。掌編ながら、人生でほんとうに大切なものは何なのか、問い直すきっかけになる良著だと思います。

主要目次 1 幸福の扉を開いて /2 心に「ゆとり」がありますか? /3 幸福を壊すあなたの見方/4 幸福は「今」この瞬間に/5 Q&A

3巻までは文庫化されてきていたアビダンマ講義シリーズですが、4巻からは電子書籍が先行するようです。物質・心・心所と続いてきた前半の講義と、業や縁起そして冥想実践を扱う後半の講義のブリッジにあたる4巻では 心の生滅(心の流れ)のしくみ=心路のメカニズムについて執拗に煩瑣ともいえる議論が繰り広げられます。その議論は如何にして諸行無常諸法無我を論証するのかという愚直なまでの情熱に貫かれているのでありまして、アビダンマ・ファンとしてはやはりスルーできない一冊であると思います。

主要目次:1 摂雑分別/2 摂路分別

 

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『大念処経』レビュー/新刊『スマナサーラ長老の仏教塾』

Amazonのサイトで、スマナサーラ長老『大念処経』サンガ,に3件目のカスタマーレビューが投稿されました。jinennさんのレビューです。『大念処経』は刊行以来、爆発的に売れているというわけではないのですが、ジワジワと読者が拡がっているようでありがたいことです。本書は、いま日本で、初期仏教の教えと実践(bhāvanā)に興味があるかたには必読でしょう。また、スマナサーラ長老の本を何冊も読んできたという方には、次に挑戦してほしい「山」のような本です。

大念処経 (初期仏教経典解説シリーズ)

大念処経 (初期仏教経典解説シリーズ)

 

続いては新刊のご紹介。「これから仏教塾を開講いたします。」という言葉ではじまる『スマナサーラ長老の仏教塾』サンガ。さまざまなテーマに即して、対話形式でブッダの教えのエッセンスを学べる作品です。

スマナサーラ長老の仏教塾

スマナサーラ長老の仏教塾

 

編集は、『ブッダの教え 一日一話』 (PHP)などのロングセラーを手がけた池谷啓さん(いちりん堂)。長老との息の合ったやりとりで軽快に読ませてくれます。本文から引用してみましょう。

「生きることは、どんなひとからも学ぶことができます。お年寄りからも、妻の言ったことからも、子どもが何気なく言ったことでも、人生を学ぶことができます。生きることを学ぶ。それこそが、正真正銘の仏教なのです。そして、生きることを学べば、すべてを学んだことになるのです。」

「ブッダはただしく「生きる」ことを伝えたのです。信仰ではありません。自らが実践して、たしかめて納得する道を伝えました。どんな人でも、教えに従ってちゃんと実践すれば、きっちりと納得のいく答えをつかむことができる。それには例外がありません。そのような意味で、「科学」といえるのです。」

「仏教を学んでいくと、「自分には知らないことが、たくさんあるんだな」ということがわかってきます。そうなると、知らず知らず心が柔軟になっていきます。そうすると、みんなから、「ああ、このひとは、柔和でいい感じだなあ」と、好かれるような人柄になっていきます。」

目次:第一章 生きることを学ぶ、それが仏教/第二章 目的が存在しない生き方/第三章 いまをシンプルに生きるだけ/第四章 慈悲の念をたたえて生きる/第五章 備えなければ憂いなし/第六章 老いと介護と死と供養

とにかく、「読みやすさ」という点で言えば、スマナサーラ長老の著作の中でも上位に来ると思いますし、とはいえインタビュアーの池谷さんも仏教や東洋宗教思想に造詣の深い方ですから、不意に深淵を覗くようなやりとりが出てきたりして、読後の満足度は高いです。もやもやが残ったかたはぜひサンガ編集部にフィードバックしていただければ、次回作に活かされるんじゃないかと思います。

 

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「この仏教書を読め!! 大アンケート」補遺

サンガジャパン23号の「この仏教書を読め!! 大アンケート」に寄稿しました。「皆様にとって、重要な仏教書・大切な仏教書を、3冊ご紹介ください。」という質問に対して、

サンガジャパンVol.23

サンガジャパンVol.23

 

1池田魯参『宝慶記―道元の入宋求法ノート』大東出版社

2一遍『一遍上人語録 (岩波文庫 青 321-1)岩波書店

3『南伝大蔵経 第17巻 増支部経典 1大蔵出版社(オンデマンド版)

 

と答えました。自分が仏教と関わり、あるいは仏教書づくりに携わるうえで原動力になっている本、という観点からピックアップしました。コメントは誌面でご確認ください。【追記】:アンケート回答文をnoteに公開しました。

 

あとから考えると、自分が編集・制作に携わった本が一冊も入ってないなと思ったので、このブログには、自分が関わった本の中でのベスト3を挙げてみたいと思います。

 

上にあげた3冊は個人的な読書遍歴にちなんだものなので、「この仏教書を読め!!」とおススメしたい本といえば、以下の3冊になりますね。

 

アルボムッレ・スマナサーラ『大念処経 (初期仏教経典解説シリーズ)』サンガ

大念処経 (初期仏教経典解説シリーズ)

大念処経 (初期仏教経典解説シリーズ)

 

ヴィパッサナー瞑想を総合的に解説した重要経典の解説本。自分はこの本を出すために仕事してきた、とゆうても過言ではないです。間違いなく、スマナサーラ長老の代表作になるでしょう。仏道修行の導きの書として、長く読まれてほしいです。

 

2ポー・オー・パユットー/野中耕一・訳『仏法』サンガ

仏法[新装版]

仏法[新装版]

 

タイの碩学パユットー師の代表作。訳者の故・野中先生から、私家版の『仏法』を献本いただき衝撃を受けた僕がこのブログで大騒ぎして、サンガさんにも大プッシュして一連の作品刊行に至ったことは、いま思い出しても胸が熱くなります。

 

アルボムッレ・スマナサーラテーラワーダ仏教 「自ら確かめる」ブッダの教え』大法輪閣

テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え

テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え

 

初期仏教の入門書として一冊選ぶならこれですね。仏教雑誌として有名な月刊『大法輪』の連載をまとめた本です。五戒や四諦八正道からカーラーマ経まで、初期仏教のエッセンスが過不足なく説かれています。

 

というわけで、この3冊は買ってずっと手元に置いておく価値があると思います。

 

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大念処経(だいねんじょきょう)とは?

大念処経(だいねんじょきょう)とは?

大念処経 (初期仏教経典解説シリーズ)

大念処経 (初期仏教経典解説シリーズ)

 

 大念処経(だいねんじょきょう Mahāsatipaṭṭhānasuttanta)はパーリ経典の長部(ディーガニカーヤ)の第22経です。クル国カンマーサダンマで比丘サンガに説かれました。長部で唯一、修道法を主題とした経であり、四念処の実践に関する様々な経説を網羅しています。

四念処とは身体(身)、感覚(受)、心、覚りに関わる真理(法)という四つの側面から念処(satipaṭṭhāna)即ち「気づきの確立」に至る修道であり、「涅槃を見るための一道」とされます。本経の総説にあたるフレーズ「ここに比丘は、身において身を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて、住みます。諸々の受において……。諸々の心において……。諸々の法において……。」は、相応部大篇念処相応はじめ念処を説いた多数の経に共通します。

身念処は出息・入息、威儀、正知、厭逆(不浄)、要素(四大)観察、九墓地(死体)。受念処は9種の感覚。心念処は14種類の心。法念処は五蓋、 五蘊、十二処、 七覚支、 四諦に分けて説かれる。ブッダは結論として、四念処を熱心に七年乃至七日修習すれば現世で完全智(阿羅漢果)または不還果に至ると説きます。

本書は、この大念処経の全文をパーリ原典から紐解き、完全解説したものです。スマナサーラ長老のまえがきに、本書の特色が示されていますので、引用します。

 衆生にとって、(こころの)清浄に達するための、愁い悲しみを乗り越えるための、苦しみと憂いが消えるための、正理を得、涅槃を目のあたりに見るための唯一の道である、『Mahāsatipaṭṭhānasutta(大念処経)』を読んで、理解してみましょう。原文を読んで理解できるならばそれに越したことはありませんが、現代人の世界観は昔と変わっているので、簡単に理解できて納得いけそうにないのです。というわけで、うるさく感じるほど延々と、大念処経について解説いたしました。解説は決して絶対的なものではありません。いろいろな角度から解説できるからです。本書では、お釈迦さまの教えを実践する方々に焦点を合わせて説明したのです。実践することを念頭に置いた解説なので、学術的な注釈にはならないと思います。

 実践する方々は、この経典の内容をすべてそのまま実践しなくてはいけないと思う必要はありません。人々には、さまざまな性格、さまざまな能力、さまざまな好き嫌いがあるものです。完全に同一の生命は存在しません。しかし、生きるという衝動はみな同じです。生きかたがそれぞれ変わっているだけです。お釈迦さまの教えは、すべての生命に適用できるように普遍的な立場で語られているのです。いかなる人間にも、自分の性格と生きかたに適用する教えを見つけることができます。大念処経の場合も同じです。実践する方々には、自分個人に適用できる教えを見つけられるだろうと思います。しかし、実践は身・受・心・法という四段階になりますので、終わりまで読んで理解することが必要になるかもしれません。納得がいかないところ、疑問に思われるところなどを見つけたならば、そのまま信じる必要はありません。さらに調べてみたほうがよいのです。

日本テーラワーダ仏教協会機関誌『パティパダー』での約五年間におよぶ連載をまとめた本書をガイドに、ブッダが説かれた覚りへの道を疑似体験してみましょう。『大念処経』は当分、電子書籍化される予定はありません。ぜひずっしりとしたリアル書籍で味わっていただければと存じます。

 

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